2010年10月24日日曜日
森下のアーゲード修復看板
森下文化センターで開催された講座『マンガを語る』の第3回に行ってきた。
今回は、辻真先×みなもと太郎で、対談「作家によるマンガ評論」。
内容は秘蔵資料も見せていただき、楽しい催しだった。
講座の内容とはべつに印象深かったのがこの看板。
8月の第二回に行った時、会場までの道筋の商店街で見かけて、写真に撮らずじまいで気になっていたもの。
う〜ん、何度見ても「アーケード」ではなくて「アーゲード」。
見間違いではないことが確認できた。
この商店街、歩行者天国開催中なのに、歩行者が一人もいなかった。
「アーゲード」修復はいつの日か。
2010年10月18日月曜日
『まんが日本の歴史人物事典』7刷!
というわけで、コシャマインさんも大活躍の『まんが日本の歴史人物事典』7刷が出ました。
登場人物が全て故人になってしまったのが、これまでの刷とちがう点でしょう。
目標の100刷まで、あと93刷となりました。
2010年10月9日土曜日
「新つれづれ草」マンガ原画展チラシ
40年ぶりに復刊した、シニアのシニアによるシニアのためのマンガ同人誌「新つれづれ草」のマンガ原画展が、千葉県八千代市のおそば屋さん「さわ田茶家」さんで、11月9日(火)〜10日(水)午前11時より午後4時に開催されます。
会場が蕎麦屋さんというのがシニアらしいね。
2010年10月3日日曜日
博ボラ日誌その17 実践インドネシア語会話
今日は「留学生の日」で、留学生は入館無料なので、博物館はいろんな所から日本にやってきた留学生でいっぱいだった。
私の担当日は今日ではないが、外国語が話せる(習熟度問わず、自己申告制)ボランティアとして、一日活動をしてきた。
でも、留学生の皆さんは日本語を使いたがってるので、私は中国語も朝鮮語も使う機会がなかった。
そんな中、インドネシア人らしき青年がいたので
「orang Indonesia?」(インドネシア人?)と声をかけたら
「え〜っ、どうして」と日本語で返答する彼
「Saya belajar bahasa Indonesia.」(私はインドネシア語を勉強しています)と私
「うれし〜です」と再び日本語で返答する彼
「Selamat sore.」(夕方の挨拶の、こんにちは)と私
「日本語でその挨拶はありません」と日本語で返答する彼
「・・・」もうインドネシア語が出ない私
「インドネシア語は日本語より簡単です」と彼
「Selamat tidur.」(おやすみなさい)と私
その後は、会話は続かないのだった。
私の担当日は今日ではないが、外国語が話せる(習熟度問わず、自己申告制)ボランティアとして、一日活動をしてきた。
でも、留学生の皆さんは日本語を使いたがってるので、私は中国語も朝鮮語も使う機会がなかった。
そんな中、インドネシア人らしき青年がいたので
「orang Indonesia?」(インドネシア人?)と声をかけたら
「え〜っ、どうして」と日本語で返答する彼
「Saya belajar bahasa Indonesia.」(私はインドネシア語を勉強しています)と私
「うれし〜です」と再び日本語で返答する彼
「Selamat sore.」(夕方の挨拶の、こんにちは)と私
「日本語でその挨拶はありません」と日本語で返答する彼
「・・・」もうインドネシア語が出ない私
「インドネシア語は日本語より簡単です」と彼
「Selamat tidur.」(おやすみなさい)と私
その後は、会話は続かないのだった。
2010年10月2日土曜日
2010年9月30日木曜日
雨の明治神宮で、写真は幕の内
2010年9月28日火曜日
2010年9月18日土曜日
6年ぶり「大胆な対談」復活!
2010年9月14日火曜日
約400ページかきおろし単行本は100%データ原稿予定
いったいどーなっておるのかとのリクエストがあったので、約400ページかきおろし単行本の現状について書きます。
発売予定:再来年
締め切り:来年
現状:ネーム60ページくらい
原稿:100%デジタルデータ予定
とまぁこんな感じです。
注目は、完全データ原稿になること。
これだけ大量のページを全てデータ渡しにするのは初めてなので、ちょっと緊張している。
作業の流れはこんな感じですすめる。
(1)資料のデキストデータを受け取る。拡張子.docファイルだが、長年Macユーザをやっているとなんでも対処できるもので、とりあえずはテキストエディットで中身を確認。
(2)ネームをPDFファイルにして送り編集者と打ち合わせ。この段階でのやりとりはお互いにPDFでおこなう。
(3)いよいよ作画。ソフトは何を使ってもいいが、最終的にはpsdかepsで保存したファイルを渡す。
(4)絵のみの(3)のファイルと文字データtxtをサーバに上げて、編集者にダウンロードしてもらう。大容量ファイルだとメール添付の場合は時間がかかるし、サーバに置いておけばバックアップにもなる。
(5)この後は、出版社と印刷所の守備範囲なので、基本的にはタッチしない。たぶんAdobe InDesignでの作業なんじゃないだろうか。ということはAdobe InDesignで開けるファイルならなんでもいいともいえるわけだ。
で、最終的には印刷された本が書店に並ぶわけだが、電子書籍版販売なんてことも視野には入れている。
てなことをゴタゴタ言う前に、まずは肝心の原稿を描かないと何も始まらないのは、アナログでもデジタルでも変わらない真実。
2010年9月9日木曜日
博ボラ日誌その16 ほろ苦インドネシア語デビュー
今日の博物館は、外国人の見学者が多かった。
米語話者の「rest room?」攻撃に対しては、「basement」(*1)で凌いだし、日本語のわからないアジア系に対しては、中国語か韓国語で切り返してその場を凌いだ。
しかし、そんな中で、今日は初体験をした。
マレーシアからきた見学者がいたので、これはインドネシア語を実際に使ってみるチャンスだとばかりに、積極的に話しかけてみたのだ。
と言うのも、インドネシア語はマレーシアでもかなり通じるときいていたからだ。
さっそく、「私はインドネシア語を勉強しています」(*2)と言おうとしたのだが、勉強を意味するbelajarがとっさに出てこない。
思わず流れで言ってしまったのは「私はインドネシア語です」(*3)
意味不明である。
ココロの準備をまったくしていなかったのが敗因だろう。
5分後には思い出したのだが、今更そんなことをわざわざ言うのも変なので、何も言わなかった。
ほろ苦いインドネシア語デビューだった。
(*1)トイレは地階にある
(*2)Saya belajar bahasa Indonesia.
(*3)Saya bahasa Indonesia.
米語話者の「rest room?」攻撃に対しては、「basement」(*1)で凌いだし、日本語のわからないアジア系に対しては、中国語か韓国語で切り返してその場を凌いだ。
しかし、そんな中で、今日は初体験をした。
マレーシアからきた見学者がいたので、これはインドネシア語を実際に使ってみるチャンスだとばかりに、積極的に話しかけてみたのだ。
と言うのも、インドネシア語はマレーシアでもかなり通じるときいていたからだ。
さっそく、「私はインドネシア語を勉強しています」(*2)と言おうとしたのだが、勉強を意味するbelajarがとっさに出てこない。
思わず流れで言ってしまったのは「私はインドネシア語です」(*3)
意味不明である。
ココロの準備をまったくしていなかったのが敗因だろう。
5分後には思い出したのだが、今更そんなことをわざわざ言うのも変なので、何も言わなかった。
ほろ苦いインドネシア語デビューだった。
(*1)トイレは地階にある
(*2)Saya belajar bahasa Indonesia.
(*3)Saya bahasa Indonesia.
2010年9月7日火曜日
スクープ!優秀な成績表
2010年9月6日月曜日
トマトチーズサンド
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