2010年3月29日月曜日

パンツをはいたウクレレ


ウクレレ界で話題騒然の、パンレレの現物を、神保町で、ついに見てきた。
噂通りに、パンツがウクレレをはいていた。
どうやら、パンツの宣伝らしい。
ウクレレはアラモアナでした。

ついでにエスカレーター界で話題騒然の、学士会館の超スローなエスカレーターも確認してきた。
地下鉄都営三田線巣鴨駅の、巣鴨地蔵通り寄りのエスカレーターとどっちが遅いかと言うと、実際に乗った感じでは、引き分け。
ただ違っているのは利用者で、学士会館のはオジーさんが多くて、巣鴨駅のはオバーさんが多いところ。
まァ、どっちでもいーことだけど。


2010年3月23日火曜日

タイホーVSリンボー


いや、べつに格闘技のオハナシではない。
浅草寺主催の講演会のオハナシ。
今回の講師は、あの大横綱大鵬さんと、リンボー先生こと林望さん。
大鵬さんの演題は「裸で学んだ人生観」。
まさにおすもうさんならではのテーマで、看板にいつわりなし。
リンボー先生のほうは、「源氏物語を読む楽しみ〜『謹訳源氏物語』の刊行に寄せて〜」
ちゃんとレジュメが用意してあり、その文面を見つつ、著者自らの朗読を聴くという趣向。

前の席に座ったおばさんが落ち着きのないタイプで、しょっちゅうキョロキョロして私語は多いしで、面白いので観察していたら、なにやら隣に座った人に話しかけてる。
おりしも壇上では、リンボー先生の朗読の名調子が響き渡っている。
「この人の名前は、ハヤシ・・・モチ?」
さすがに、オバさんの隣の人も唖然として、講師紹介の箇所を指し示している。
いくらなんでも、ハヤシモチはないでしょう。
たぶん、知り合いにモチヅキさんがいて、それにひっぱられたんだろうが、ハヤシモチはすごい。
どこかの名産のお餅じゃないんだから。


2010年3月22日月曜日

博ボラ日誌その4 おかしな中文


博物館ボランティア研修用の資料を読んでいたら、外国語の出来る人(習熟度は問わないそう)は、それを示すバッジをつけるらしい。
資料には朝鮮語のものはないが、中国語のバッジの図はある。
それは、上のイラストのようなものなのだが、その文字列を見たとき何か違和感を感じた。

たぶん、「私は中国語が話せます」と表現したいのだろうが、この表現は間違っているような気がする。
日本語の「できる」という意味を表す中国語には数種類あって、ここで使われている「可以」は外国語ができるという場合ではなく、この場所で煙草を吸う事ができるかどうか、というような許可不許可の場合に使われるんじゃないかな〜、と思う。
数十年前に使っていた分厚い辞書で調べてみたが、やはりこのバッジの表現は正しくないようだ。

しかし、言葉は変わる。
現代中国語では、このようにも表現するのかも知れない。
グダグダ考えていても解決しないので、恩師の教授にご教授願ったら、やはりこのバッジの文面には問題があるとのことだった。
もし、「私は中国語は話せます」ということなら「我会講中文」が正解とのこと。
ボクが試験に臨んでも、そういう答案を書くと思う。
「講解」を使っての文法的に正しい文は、「我会用中文講解」になる。

では、次回の研修日にこのバッジの文面について意見を述べればいいんじゃないの、ということになるが、事はそう簡単ではない。
もしそんなことをしたら、じゃあアンタが正しいものに修正しなさいよ、なんてことになり、そんなに偉そうにいうなら今後中国語関連で何か問題があったら全部責任もってやりなさいよ、なんてことになりそうな気がしないでもないからだ。
考え過ぎかも知れないけど。

それにボクの場合、外国語の習熟度に問題があるのがモンダイなのだ。
でも、現状のバッジをつけて活動はしたくないなぁ。
果たしてネイティブの中国人に、このバッジの文意は伝わるのだろうか?

2010年3月18日木曜日

BROMPTONで疑似オランダまで


久しぶりにBROMPTONを袋から引っぱり出したらチェーンがはずれていたので、指を油で真っ黒にしながらなんとか元通りに装着してポタリングに出かけてみた。

行き先は決めずに走っていたらいつのまにかオランダまで来てしまった。
なんて、わけはないよね。

正解は浮間公園。

2010年3月14日日曜日

博ボラ日誌その3 博物館内で道に迷う


博物館ボランティア研修2日目は館内めぐりで、いろんな道筋を覚えることだった。
本館やら新館やら、建て増ししすぎの温泉旅館じゃないけど、位置関係がややこしくて自分がどこにいるのかわからなくなってくる。
実際の活動では、館内案内が多いらしいが、これじゃあこっちが迷子になりそう。
しかし来月は、ボランティアの研修が二日、ボランティア本番が二日、計四日も博物館で1日を費やすことになるのだが、そんなことばかりしてていいのかと自問してしまう。
迷い道のマンガ家人生は続く...。

2010年3月11日木曜日

2011年マンガはどうなる?

『2011年新聞・テレビ消滅』という本を読んだ。なかなか興味深い本だった。内容はタイトルが語っている。
果たしてこの予言は当たるのでしょうか。ノストラダムスよりは、当たる確率は高いような気がする。

この本によると、新聞は現在下記のような3層構造になっている。
コンテンツ:記事
コンテナ:新聞紙
コンベア:販売店

これが
コンテンツ:記事
コンテナ:ネットのニュース
コンベア:インターネット
になり、新聞は消滅の道を歩むという図式だ。

じゃあ、漫画界をこの図式に当てはめると、
コンテンツ:マンガ原稿
コンテナ:出版社マンガ雑誌
コンベア:書店
から
コンテンツ:マンガ原稿
コンテナ:電子書籍、ケータイマンガ、iPhoneアプリ
コンベア:インターネット
に、なりつつある。

あれっ、この図だとコンテンツ制作部門は変わらないのか。
じゃあ、マンガ家は今のままでいいのか(笑)。


2010年3月9日火曜日

若くないのに、若き血みそラーメン


雪の予報の中、用事があって出かけたが、体が冷えたのでちょっと早めのランチがてら某学食でラーメン。
その名も「若き血みそラーメン」、400円。
この写真ではよくわからないが、麺はオレンジ色。なんだか昔の喫茶店メニューのナポリタンみたいなカラー。
もう若くない身に、若き血を注入!とばかりに完食。
ちょっと血がドロドロになったかも。

2010年3月7日日曜日

博ボラ日誌その2 倍率3.35倍突破


というわけで、T博物館ボランティア研修第1日目。
なんと、定員に対して倍率3.35倍という難関を突破した人が、本日この研修を受けられることになったのだそうだ。
第一次の作文、第二次の面接とあったが、単なる形式的なものじゃなかったのね。
4回の研修を終えるまでは正式に登録されていないので、現在は入館バッヂも紙製のものしか支給されない。
正式に登録後には、ちゃんとしたネームプレートが支給されるらしい。

2010年3月1日月曜日

博ボラ日誌その1 作文、面接、内定。


昨年末に、T博物館がボランティアを募集しているのを知り、応募してみた。
ボランティアを希望するものは、まずは作文を送れとのことだったので、何か適当にでっちあげて送った。
年も明けてすっかり忘れていたところ、面接に来てくれとの連絡が届いた。

で、先週生まれて初めての面接なるものを受けてきた。
就職試験などに縁がない人生なので、面接がどんなものか知らずに出向いた。
部屋に入って椅子に座ろうとしたら、面接官は立って何やら挨拶のようなものをしている。そうかまだ座っちゃいけないのかと、あわてて腰を浮かして体制を立て直す。
面接の内容は、応募作文に関してのものだったが、書いた本人が作文の内容を忘れている。
話しているうちに、どうやら得意の(笑)中国語と朝鮮語を生かしてアジアからのお客様の見学のお手伝いをしたいと書いたような記憶が蘇ってきた。
調子にのって、「春からはインドネシア語も勉強を始めます!」と宣言してしまった。
これに面接官も反応して、「インドネシア語ができる人は少ないですね〜」と、なにやら書類にチェックしている。

そして今週、博物館から、ボランティアに協力してくれたまえ、といった内容の書類が届いた。
ただし4日間の研修を受ける事が条件。
タイムスケジュールを見ると、朝から夕方までびっしり詰まったレクチャーを受講するようになっている。
もしかして、受講後レポート提出でもあるのだろうか。

というわけで、こうなったら公約通り(?)にインドネシア語の勉強も始めなければならない。
とまぁ、こーゆー流れで、来週にはKO外語のインドネシア語科に願書を提出することにした。
無償のボランティアのために、学費を払って入学するなんて、いったいドーユーことなんだ!という思いがないわけではないが、これもいつかマンガの題材になるかも知れない。
マンガの題材になったら、この学費は必要経費になるのだろうか、そこのところはまだ未確定ではある。