ちょっと寒いかなと感じて、セーターをひっかけてウクレレを持って出かけた。
いざウクレレを抱えて弾き始めたら、いつもにもまして音が出ていないことに気付く。
どうやら、袖口のモコモコが弦に接触して、ミュート状態になっていたもよう。
リーダーのブログでメンバーの集合写真を見たら、しっかり袖口がモコモコになってました♫
2018年12月9日日曜日
2017年12月16日土曜日
2016年1月26日火曜日
韓国映画『殺されたミンジュ』の活力
ひさしぶりに見た韓国映画『殺されたミンジュ』。
画像は、主演のマ・ドンソク。
ご覧の通り、かなり怖い顔です。
映画の内容もかなり怖い。
日頃、ラピュタ阿佐ヶ谷や、京橋フィルムセンターで、もうこの世にいない人たちが出演している映画ばかり見ているせいか、まだ現役バリバリで生きている人たちが出ている映画はさすがに活力があるわいな、と妙な感心をしたのでありました。
画像は、主演のマ・ドンソク。
ご覧の通り、かなり怖い顔です。
映画の内容もかなり怖い。
日頃、ラピュタ阿佐ヶ谷や、京橋フィルムセンターで、もうこの世にいない人たちが出演している映画ばかり見ているせいか、まだ現役バリバリで生きている人たちが出ている映画はさすがに活力があるわいな、と妙な感心をしたのでありました。
2015年10月4日日曜日
国立新美術館で隣の部屋に追い払われて
国立新美術館で開催中の『アーティスト・ファイル 2015隣の部屋――日本と韓国の作家たち』展は、日韓の12人の現代美術家の個展を集めた、まるで現代美術版幕の内弁当みたいでとても面白かった。
会場は作家別にカーテンで部屋が仕切られていて、鑑賞者は部屋から部屋へ渡り歩き、いろんなタイプのアートが楽しめる仕掛けになっている。
何番目かの部屋では、壁にモニタが埋め込まれていた。
その部屋は六畳二間くらいでウナギの寝床状(例えが現代美術っぽくないですが)になっている。
壁面のモニタには、それぞれの不思議な体験を語る人の画像が流れている。
半分くらい見た頃に、監視のオネーさんが近づいてきて、こう言った。
「もっと近くで見てください」
最初、何を言ってるのか理解できなかったのだが、壁面から2メートルくらい離れてモニタを見ていたワタクシの立ち位置を是正したいということなのだろう。
背面の壁にもたれかかっているわけでもないし、他の客のジャマになっているわけでもない。善意に解釈すれば、
「そんなに離れていると、ワタクシとモニタの間を他の鑑賞客が通行するから、作品が見にくくなりますよ」
ということかも知れない。
でもこの部屋には、当初はワタクシ一人で、その後他2、3人が入室しただけという閑散とした状態なのに、わざわざ言うべきことなのだろうか?
せっかく楽しんでいたのに、よけいな事を言われて頭にきたので、
「オラオラ、どこで見ようと勝手だろ!いちいち指図するんじゃないよ!館長をよべ!」
と怒鳴ろうかとも思ったが、次に予定があってあまり時間もなかったので、泣きながら(もちろんココロの中でね)隣の部屋に移動したのでした。
あっ、この展覧会のタイトルは『隣の部屋』だし、もしかしてこの監視のオネーさんの行動も、隣の部屋を意識させるための効果を狙ったパフォーマンスなのか?いや、そこまで深い意味があるとは思えない。
釈然としないまま会場を後にしつつ、ミュージアムの鑑賞者と監視者の関係について考えた。
きょうは鑑賞者の立場だったが、以前3年間ほどトーハクでボランティアをした際は、この逆で作品を鑑賞する人に注意することもあった。
しかしその対象は、走る子どもや、ドリンク類を飲みながら歩く人、長い傘を持った人、鉛筆以外の筆記具を使う人などであって、鑑賞者の立ち位置に関して口をはさむことはなかった。
さらに、ウ〜ムと考えてみるに、上記に該当しない人でも挙動不審な人に対しては、鋭い視線をおくったような気がする。
ということは、きょうのあの部屋のオネーさんも、ワタクシのことを挙動不審者と認識して、あのような行動をとったのかも知れない。もし、そうなら怪しい外見のワタクシが悪いことになる。
この結論、納得できるような、できないような、割り切れない感じだけが残ってしまい、とりあえず当分の間は国立新美術館には行く気がしないな〜と思うのだった。
会場は作家別にカーテンで部屋が仕切られていて、鑑賞者は部屋から部屋へ渡り歩き、いろんなタイプのアートが楽しめる仕掛けになっている。
何番目かの部屋では、壁にモニタが埋め込まれていた。
その部屋は六畳二間くらいでウナギの寝床状(例えが現代美術っぽくないですが)になっている。
壁面のモニタには、それぞれの不思議な体験を語る人の画像が流れている。
半分くらい見た頃に、監視のオネーさんが近づいてきて、こう言った。
「もっと近くで見てください」
最初、何を言ってるのか理解できなかったのだが、壁面から2メートルくらい離れてモニタを見ていたワタクシの立ち位置を是正したいということなのだろう。
背面の壁にもたれかかっているわけでもないし、他の客のジャマになっているわけでもない。善意に解釈すれば、
「そんなに離れていると、ワタクシとモニタの間を他の鑑賞客が通行するから、作品が見にくくなりますよ」
ということかも知れない。
でもこの部屋には、当初はワタクシ一人で、その後他2、3人が入室しただけという閑散とした状態なのに、わざわざ言うべきことなのだろうか?
せっかく楽しんでいたのに、よけいな事を言われて頭にきたので、
「オラオラ、どこで見ようと勝手だろ!いちいち指図するんじゃないよ!館長をよべ!」
と怒鳴ろうかとも思ったが、次に予定があってあまり時間もなかったので、泣きながら(もちろんココロの中でね)隣の部屋に移動したのでした。
あっ、この展覧会のタイトルは『隣の部屋』だし、もしかしてこの監視のオネーさんの行動も、隣の部屋を意識させるための効果を狙ったパフォーマンスなのか?いや、そこまで深い意味があるとは思えない。
釈然としないまま会場を後にしつつ、ミュージアムの鑑賞者と監視者の関係について考えた。
きょうは鑑賞者の立場だったが、以前3年間ほどトーハクでボランティアをした際は、この逆で作品を鑑賞する人に注意することもあった。
しかしその対象は、走る子どもや、ドリンク類を飲みながら歩く人、長い傘を持った人、鉛筆以外の筆記具を使う人などであって、鑑賞者の立ち位置に関して口をはさむことはなかった。
さらに、ウ〜ムと考えてみるに、上記に該当しない人でも挙動不審な人に対しては、鋭い視線をおくったような気がする。
ということは、きょうのあの部屋のオネーさんも、ワタクシのことを挙動不審者と認識して、あのような行動をとったのかも知れない。もし、そうなら怪しい外見のワタクシが悪いことになる。
この結論、納得できるような、できないような、割り切れない感じだけが残ってしまい、とりあえず当分の間は国立新美術館には行く気がしないな〜と思うのだった。
2015年5月24日日曜日
10年越しの映画『パッチギ』
何度もチャンスがありながら、どうしても見逃してしまう映画がある。
そんな映画の1本が『パッチギ』だった。
今年の春に東京国立近代美術館-フィルムセンターで開催された「自選シリーズ 現代日本の映画監督(3)井筒和幸」でもこの映画が上映されていたが、どうしてもタイミングが合わず結局見逃してしまった。
そんなこんなで、もうこの映画を見るのはあきらめていたのだが、「京橋映画劇場アンコール特集」でこの映画がかかっているのを知り、なんとか最終日に駆けつけて、公開から10年経ってやっとみることができた。
映画の舞台は1968年、場所は京都、主人公は高校生。
全篇に流れる「イムジン河」のメロディ♫
このへんの時代を舞台にした映画は、その頃の空気を吸っていた身としては、「ちょっとちがう気が…」という出来のものが多いが、この映画は違和感なく楽しめた。
まぁ、ボクが監督と同年代だからそう感じるのかも知れませんが。
当時のラジオの深夜放送で「イムジン河」を聴き、通学カバンの中に毛沢東語録をしのばせていた高校生もいまや立派なオジーさん世代になっている。
劇中で「明日、戦争に行けと言われたらどうする?」というセリフがあったが、まさか21世紀になって、そんな事が現実になってしまうかもしれないような世の中になるなんて、今ではオジーさんになってしまった当時の高校生は、悲しくてやりきない♫のだった。
きょうの上映は、地下の小ホールで観客も満員ではなかったが、終映後は客席から拍手がパチパチ。
そんな映画の1本が『パッチギ』だった。
今年の春に東京国立近代美術館-フィルムセンターで開催された「自選シリーズ 現代日本の映画監督(3)井筒和幸」でもこの映画が上映されていたが、どうしてもタイミングが合わず結局見逃してしまった。
そんなこんなで、もうこの映画を見るのはあきらめていたのだが、「京橋映画劇場アンコール特集」でこの映画がかかっているのを知り、なんとか最終日に駆けつけて、公開から10年経ってやっとみることができた。
映画の舞台は1968年、場所は京都、主人公は高校生。
全篇に流れる「イムジン河」のメロディ♫
このへんの時代を舞台にした映画は、その頃の空気を吸っていた身としては、「ちょっとちがう気が…」という出来のものが多いが、この映画は違和感なく楽しめた。
まぁ、ボクが監督と同年代だからそう感じるのかも知れませんが。
当時のラジオの深夜放送で「イムジン河」を聴き、通学カバンの中に毛沢東語録をしのばせていた高校生もいまや立派なオジーさん世代になっている。
劇中で「明日、戦争に行けと言われたらどうする?」というセリフがあったが、まさか21世紀になって、そんな事が現実になってしまうかもしれないような世の中になるなんて、今ではオジーさんになってしまった当時の高校生は、悲しくてやりきない♫のだった。
きょうの上映は、地下の小ホールで観客も満員ではなかったが、終映後は客席から拍手がパチパチ。
2015年3月18日水曜日
2013年1月29日火曜日
韓国人漫画家による日本を紹介する本のインドネシア語翻訳版
Jepang (Negeri Sakura) というタイトルのこの本、オリジナルは、韓国人漫画家による日本文化紹介がテーマの作品で、それをインドネシア語に翻訳した、なんだかややこしい本。
作者はキム・スジョンさん。
どこかで見かけた絵と名前だと思ったら、1998年から2009年まで開催された『日韓ユーモア漫画家年賀状交流展』で何度も会った事のある漫画家さんでした。
ボクも彼も酒がダメなので、日韓漫画家のパーティなんかでは、会場の隅っこで、二人でコーラで乾杯してました。
インドネシア語の教材として、インドネシア人の先生からお借りした本なのだが、まさかこんな形でキム・スジョンさんの作品に出会うとは、世間は狭いね。
2012年3月30日金曜日
きょうのオヤツはホドゥコァジャ
2011年2月25日金曜日
博ボラ日誌その33 送ったファイルが真っ赤っか
博物館内で使用する「外国人向け指差し会話集」みたいなものの、ハングル版制作のボランティア活動に参加した。
まず、たたき台みたいなものを作って、母語話者のボランティアスタッフに送信して、みてもらったら、かなりの部分に赤が入って返送されてきた。
なるほどと合点がいく修正(添削?)だったが、試験なら落第だったな。
個人的には、とっても勉強になったボランティア活動なのだった。
エクセルでのやりとりなので、Numbersで書き出して送ることにした。
ちゃんと相手側で開けてるのか気になっていたのだが、なんとか切り抜けて一安心。
ハングル翻訳より、エクセルファイルのやりとりのほうで、ストレスを感じてしまった春一番の吹き荒れた夕刻。
まず、たたき台みたいなものを作って、母語話者のボランティアスタッフに送信して、みてもらったら、かなりの部分に赤が入って返送されてきた。
なるほどと合点がいく修正(添削?)だったが、試験なら落第だったな。
個人的には、とっても勉強になったボランティア活動なのだった。
エクセルでのやりとりなので、Numbersで書き出して送ることにした。
ちゃんと相手側で開けてるのか気になっていたのだが、なんとか切り抜けて一安心。
ハングル翻訳より、エクセルファイルのやりとりのほうで、ストレスを感じてしまった春一番の吹き荒れた夕刻。
2010年12月2日木曜日
博ボラ日誌その28 ボランティアの壁

おなじ博物館に行くのでも、博物館ボランティア活動で行くのと、お客として行くのでは何かが違う。
一番の違いは壁との関係。
お客で行くと、壁の作品に向かって視線をそそぐ。
ボランティアで行くと、壁を背にして来客者に視線をそそぐ位置に立つことになる。
同じ立ち位置でも見える世界が変わるのが面白い。
今日は、韓国人初老男性の接客をした。
ただハングルのリーフレットがあるよと、手渡しただけなのだが、オマエちゃんと喋れるではないかとお世辞を言われるのがが定番コース。
これに対して、まだダメですよと謙遜するのも、いつもの流れ。
で、去り行く男性に「アンニョヒカシプシオ」と敬語表現の別れの言葉をかけたら、こちらをふりかえりもせずに背中で「ウ〜」との返事。
まるで韓国時代劇みたいなセリフ回しがきまってました。
こんなシーンは、壁を背にする博物館ボランティアならではのことで、なかなか楽しい事ではある。
2010年8月12日木曜日
博ボラ日誌その15 足がつる真夏の昼下がり
2010年4月1日木曜日
博ボラ日誌その5 生半可な語学力でオウム変身

まだ研修は、全行程の半分しか受講していないのに、今日からいきなり博物館ボランティア実践編。
いちおうアジア系言語ができると(習熟度問わずの条件付き)いう自己申告で合格したので、着物型ポストカードを作るコーナーで韓国人らしき人に声をかけたら、案の定韓国人だった。
しばらくして、できあがったポストカードを手にしたその韓国人が、こちらになにか言っている。
どうやら「・・・行ってもいいのか?」と言ってるようだ。
どこに行きたいのか、どうしてもわからないので、困った時の復唱作戦に突入。ひたすら相手の言うことをこちらも繰り返すのみ。完全にオウムと化した私。
業を煮やした彼女が、ちょっと言い方を変えた。
どうやら今度は、「これは贈り物なのか?」と言っているような気がするので、「そうだ私からの贈り物だ」とキッパリ言い切ったら(ちょっとちがう気もするが)、安心したようにポストカードを手に去って行った。
1時間後、館外でコーヒーを飲みながら休憩していたら、頭の中でジグソーパズルがカチッとはまった。
どこかに行きたいのではなく、「これを持って行ってもいいのか?」と言っていたのだ。
ああ、すっきりした。
ふと前方を見ると、問題の韓国人がこちらにやってくるのが目にはいった。
あわてて伏し目がちにコーヒーの残りを飲み始める、桜の樹の下で。
2010年2月25日木曜日
iPhoneアプリ第二弾!ハングル学習アプリ『ハングルクイナ』

iPhoneアプリデヴュー作(笑)の『ウクレリアンの極み時計』に続いて、iPhoneアプリ第二弾!ハングル学習アプリ『ハングルクイナ』が、iTunes Store で配信開始となりました。
実は iTunesカードの残高がなくて、自分ではまだダウンロードしていないので、どんな出来なのかはここでは言えないけど、少しは役に立つアプリのはずです。
それでは、シ〜ジャック(はじめ〜)!
previewページの、英語のDescriptionがちょっと面白い。
シ〜ジャック(はじめ〜)!は、shi-jak hap shi da (let’s start)! と翻訳されてました。
ちゃんと hap shi da をつけてるところが丁寧です。
2010年1月1日金曜日
2009年12月26日土曜日
原始の神社をもとめて
2009年12月12日土曜日
ソウルで現地集合忘年会
2009年11月18日水曜日
blogからtwitterへ
2009年5月6日水曜日
2009年4月24日金曜日
2009年1月31日土曜日
ソウルで日韓年賀状展
日韓ユーモア漫画家年賀状交流展2009のソウル展示が日本国際交流基金ソウル文化センターで、2009年2月2日(月)から2009年2月13日(金)まで開催される。
オープニングレセプションに出席するつもりでパスポートも更新したのに都合で行けなくなってしまった。
日本側世話人代表の田代しんたろう氏が出席されるから大丈夫なのだが、oDandyも世話人の一人として名を連ねているだけでなく。個人的にも行きたかったのに残念。
来年は行くぞと思ったが、実はこの催しは今回で12回目の干支一回りということでいったんお開きになるので、来年どうなるかは未定なのだ。
そんなわけで、期間中にソウルに行く予定のある方は、光化門近くに行ったら足を運んでみてほしい。
会場ではおだ辰夫の参加作品の前で「う〜む」とうなっていただきたい。
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