2015年10月31日土曜日

たまには鉛筆でネーム作り

さぁ、今からネームをやるぞ!と決意して机に向かったら、シャーペンが見当たらない。
いつも机まわりに何本かは転がっているシャーペンが1本もない。
時々、仕事机の上でこのような文房具神隠しがある。
こんな時は慌てず深呼吸して、対応策を練る。
シャーペンが問題なのではない、描いても消せる筆記具ならいいのであるよなァ…そうだ鉛筆がある!
で、久しぶりに鉛筆と鉛筆削りを用意してネームを切るのだ!(ネームを「切る」という表現はいつごろから言うようになったのだろうか。ボクがデビューした約40年前にはそういうふうには言ってなかったと思うが。もしかして知らなかったのは自分だけ?)
そんなこんなで、機関車型鉛筆削りでuni-star2Bをガリゴリと。

2015年10月28日水曜日

東スポは帯封で


描いた漫画が掲載されると、掲載誌や掲載紙が送られてきます。
雑誌の場合は、毎回掲載誌が封筒に入ってきますが、新聞の場合はちょっとちがいます。
新聞の購読券が送られてきて、それを近くの新聞販売店に渡して毎朝配達してもらう場合や、一ヶ月分まとめてドサッと送られてくる場合があります。
老い知らず男の強化書」を連載中の東京スポーツ(水曜発売版)の場合は、これらとはちょっとちがって毎回掲載日の翌日に掲載紙が送られてきます。
でも封筒に入ってくるのではなく、帯封で束ねた状態で届きます。
帯封というのは紙幣なんかを束ねているアレです。
ちなみに原稿料は帯封で束ねた現金ではなくて、銀行振込でいただいています。

2015年10月10日土曜日

ピアノ伴奏でハラキリ

ヨーロッパで1919年に作られた、幕末の日本を舞台にした無声映画『ハラキリ』を、ピアノ伴奏付きで見た。
東京国立近代美術館フィルムセンターで開催された、「シネマの冒険・闇と音楽」の一本。
映画は、欧州から帰国した大名の姿から始まる。
大名の名前は「トクヤワ」。徳川ではない。
大名の娘の名前は「おタケさん」。お姫様の名前と言うより女中さんの名前。
侍女の名前は「ハナケ」。おそらく花子の聞き違い。
悪い僧侶の名前は「ボンズ」。たぶん坊主のつもり。
その土地の領主の名前は「マタハリ」。もはや日本語ではない。インドネシア語で太陽の意味だったような気がする。

そんな不思議な映画だった。
映画も不思議だが、約100年前に作られた日本を題材にしたヨーロッパ映画を、21世紀の日本で見るのも、これまた不思議ではあるなァと思った旧体育の日

2015年10月7日水曜日

東京スポーツ水曜版で「老い知らず男の強化書」新連載!

東京スポーツ(毎週水曜日)で「老い知らず男の強化書」というマンガが始まりました。
一部で好評だった(?)『汗かきおちんこ君』の従兄弟のチンタマ君が登場しています。
ちなみに、チンタマ君の語源は「チンチンの魂」からきている模様。
往年の野球マンガ『父の魂』とは関係ありません。

2015年10月5日月曜日

『まんが日本の歴史人物事典』13刷!

え〜と、今週めでたく『まんが日本の歴史人物事典』13刷が世に出ることになりました。
画像は表紙の初校です。 
当初と表紙は変わっていませんが、内容はちょっと変化しています。
目標100刷まで、あと87刷(笑)。

2015年10月4日日曜日

国立新美術館で隣の部屋に追い払われて

国立新美術館で開催中の『アーティスト・ファイル 2015隣の部屋――日本と韓国の作家たち』展は、日韓の12人の現代美術家の個展を集めた、まるで現代美術版幕の内弁当みたいでとても面白かった。
会場は作家別にカーテンで部屋が仕切られていて、鑑賞者は部屋から部屋へ渡り歩き、いろんなタイプのアートが楽しめる仕掛けになっている。

何番目かの部屋では、壁にモニタが埋め込まれていた。
その部屋は六畳二間くらいでウナギの寝床状(例えが現代美術っぽくないですが)になっている。
壁面のモニタには、それぞれの不思議な体験を語る人の画像が流れている。
半分くらい見た頃に、監視のオネーさんが近づいてきて、こう言った。
もっと近くで見てください
最初、何を言ってるのか理解できなかったのだが、壁面から2メートルくらい離れてモニタを見ていたワタクシの立ち位置を是正したいということなのだろう。
背面の壁にもたれかかっているわけでもないし、他の客のジャマになっているわけでもない。善意に解釈すれば、
「そんなに離れていると、ワタクシとモニタの間を他の鑑賞客が通行するから、作品が見にくくなりますよ」
ということかも知れない。
でもこの部屋には、当初はワタクシ一人で、その後他2、3人が入室しただけという閑散とした状態なのに、わざわざ言うべきことなのだろうか?
せっかく楽しんでいたのに、よけいな事を言われて頭にきたので、
オラオラ、どこで見ようと勝手だろ!いちいち指図するんじゃないよ!館長をよべ!
と怒鳴ろうかとも思ったが、次に予定があってあまり時間もなかったので、泣きながら(もちろんココロの中でね)隣の部屋に移動したのでした。
あっ、この展覧会のタイトルは『隣の部屋』だし、もしかしてこの監視のオネーさんの行動も、隣の部屋を意識させるための効果を狙ったパフォーマンスなのか?いや、そこまで深い意味があるとは思えない。

釈然としないまま会場を後にしつつ、ミュージアムの鑑賞者と監視者の関係について考えた。
きょうは鑑賞者の立場だったが、以前3年間ほどトーハクでボランティアをした際は、この逆で作品を鑑賞する人に注意することもあった。
しかしその対象は、走る子どもや、ドリンク類を飲みながら歩く人、長い傘を持った人、鉛筆以外の筆記具を使う人などであって、鑑賞者の立ち位置に関して口をはさむことはなかった。
さらに、ウ〜ムと考えてみるに、上記に該当しない人でも挙動不審な人に対しては、鋭い視線をおくったような気がする。
ということは、きょうのあの部屋のオネーさんも、ワタクシのことを挙動不審者と認識して、あのような行動をとったのかも知れない。もし、そうなら怪しい外見のワタクシが悪いことになる。

この結論、納得できるような、できないような、割り切れない感じだけが残ってしまい、とりあえず当分の間は国立新美術館には行く気がしないな〜と思うのだった。