2009年1月31日土曜日
ソウルで日韓年賀状展
日韓ユーモア漫画家年賀状交流展2009のソウル展示が日本国際交流基金ソウル文化センターで、2009年2月2日(月)から2009年2月13日(金)まで開催される。
オープニングレセプションに出席するつもりでパスポートも更新したのに都合で行けなくなってしまった。
日本側世話人代表の田代しんたろう氏が出席されるから大丈夫なのだが、oDandyも世話人の一人として名を連ねているだけでなく。個人的にも行きたかったのに残念。
来年は行くぞと思ったが、実はこの催しは今回で12回目の干支一回りということでいったんお開きになるので、来年どうなるかは未定なのだ。
そんなわけで、期間中にソウルに行く予定のある方は、光化門近くに行ったら足を運んでみてほしい。
会場ではおだ辰夫の参加作品の前で「う〜む」とうなっていただきたい。
2009年1月30日金曜日
You Tube版『汗かきおちんこ君』第二章
コミケに参加したマンガ同人誌「新・つれづれ草」で好評だった、原作ふんにゃかアシシ、作画ODA-SANの『汗かきおちんこ君』第二章・ゲーセンの怪人がYou Tubeに登場しました。
2009年1月29日木曜日
「妙心寺」展の玩具船
日本美術史の試験で、妙心寺の美術品についての問題がわからなかったことがある。
それ以来妙心寺が気になっていたが、今回その悔しさを解消すべく、とある日に東京国立博物館に出かけてみた。
正式名称は、開山無相大師650年遠諱記念特別展「妙心寺」という長〜いもの。
いちばん印象に残ったのは、国宝級の貴重な書画ではなく、重要文化財の『玩具船』。
秀吉の子供の棄丸のためのものと説明にある。子供なら充分に乗って遊べるくらいの大きさである。
船の横にはやはり棄丸用の小さな武具も展示してある。
このようなものが残っているところをみると、秀吉と妙心寺の関係は深かったんだろう。
件の日本美術史の試験問題だが、棄丸の船に関してのものではなかったと思うが、いったい妙心寺の何に関してだったかは覚えていない。
会期中にもう一度出かけて勉強したほうがいいかもしれない。
それ以来妙心寺が気になっていたが、今回その悔しさを解消すべく、とある日に東京国立博物館に出かけてみた。
正式名称は、開山無相大師650年遠諱記念特別展「妙心寺」という長〜いもの。
いちばん印象に残ったのは、国宝級の貴重な書画ではなく、重要文化財の『玩具船』。
秀吉の子供の棄丸のためのものと説明にある。子供なら充分に乗って遊べるくらいの大きさである。
船の横にはやはり棄丸用の小さな武具も展示してある。
このようなものが残っているところをみると、秀吉と妙心寺の関係は深かったんだろう。
件の日本美術史の試験問題だが、棄丸の船に関してのものではなかったと思うが、いったい妙心寺の何に関してだったかは覚えていない。
会期中にもう一度出かけて勉強したほうがいいかもしれない。
2009年1月28日水曜日
フィルセンで【怪獣・SF映画特集】
東京国立近代美術館フィルムセンターで、2009年1月6日(火)から2月22日(日) の期間、【怪獣・SF映画特集】が公開される。
先日、その中の1本で、千葉真一主演の『黄金バット』 を見て来たが、1966年制作なのに白黒映画だったのには驚いた。もうあの頃はカラー時代だったと記憶していたがそうでもなかったのか。
主演とはいっても千葉真一が黄金バットではない。兵器は作るは、光線銃をぶっぱなすは、頭脳より腕っぷしの戦う科学者なのだ。
千葉真一の上司の博士の娘役で出ているのが高見エミリちゃん。少女雑誌の表紙モデルだった頃の、若き日の姿が可愛い。今では代議士夫人におさまり、相当美食されたようである。
映画の方は、とにかく全編黄金バットとナゾーが「わはははは、わははは」と笑いあうのだが、客席は笑えない場面が続く。
蘇ったばかりの黄金バットが高見エミリに向かっていきなり「エミリよ」と呼びかけるシーンでは、場内が爆笑につつまれた。
なぜ初対面なのに名前がわかったんだろうか。
ナゾーの正体より、こちらの方がよほどナゾである。
この映画が封切られた頃、オダンディは子供だったが、まったく記憶がない。
あの頃のことだから何かと併映だったんだろうが、当時の子供達はこの映画を見て胸を躍らせたのか。それとも子供ココロにも、子供だましはダメだよと思ったのか。
真相は、とりあえず「わははははははは」と笑ってごまかしておこう。
先日、その中の1本で、千葉真一主演の『黄金バット』 を見て来たが、1966年制作なのに白黒映画だったのには驚いた。もうあの頃はカラー時代だったと記憶していたがそうでもなかったのか。
主演とはいっても千葉真一が黄金バットではない。兵器は作るは、光線銃をぶっぱなすは、頭脳より腕っぷしの戦う科学者なのだ。
千葉真一の上司の博士の娘役で出ているのが高見エミリちゃん。少女雑誌の表紙モデルだった頃の、若き日の姿が可愛い。今では代議士夫人におさまり、相当美食されたようである。
映画の方は、とにかく全編黄金バットとナゾーが「わはははは、わははは」と笑いあうのだが、客席は笑えない場面が続く。
蘇ったばかりの黄金バットが高見エミリに向かっていきなり「エミリよ」と呼びかけるシーンでは、場内が爆笑につつまれた。
なぜ初対面なのに名前がわかったんだろうか。
ナゾーの正体より、こちらの方がよほどナゾである。
この映画が封切られた頃、オダンディは子供だったが、まったく記憶がない。
あの頃のことだから何かと併映だったんだろうが、当時の子供達はこの映画を見て胸を躍らせたのか。それとも子供ココロにも、子供だましはダメだよと思ったのか。
真相は、とりあえず「わははははははは」と笑ってごまかしておこう。
2009年1月27日火曜日
2009年1月26日月曜日
オダンディズム宣言
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