2013年12月26日木曜日

マンガ全席第7話【アは○○のア】



マンガ全席第7話【アは○○のア】
このマンガの主人公の小津クンもいよいよ高校卒業を迎え進路に悩んでいた。
高校時代に漫画家デビューし、学生と仕事の両立と言うか共倒れと言うか、いまいち決め手にかける状況に身を置いていたが、結局卒業後もその状態をしばらく続けることにしたのだった。
積極的選択ではなく、アシスタントも、アルバイトも、愛人もできそうにないという、消極的選択の結果である。昨今誰かが唱える「積極的平和主義」という意味不明なものよりは、賢明な選択といえるだろう。
それはさておき、学生という身分なら、いろんな面で学割特典があるのも魅力のひとつではある。漫画家という身分での社会的特典が、何もないのは今も昔も変わらない。

以下、第8話に続きますが、公開日は未定(たぶん来年)です。乞う、ご期待!
皆さん、よいお年を!

2013年12月25日水曜日

マンガ全席第6話【決断力】


マンガ全席第6話【決断力】
このマンガの舞台は、現在解体中の小学館ビル地下にあった純喫茶トップ。ここで打ち合わせをする関係者は多く、当時大人気だった「あのねのね」や、近藤久美子ちゃん(後の相本久美子)を見かけたこともあった。…と、いかんいかん、追想にふけってる場合じゃない、このマンガの解説をせねば。
このエピソード、作者のほぼ実話である。
駆け出しの頃に、その後の漫画家としての運命を左右するような編集者に巡りあうのも運のうちかも知れない。このマンガで小津クンにアドバイスする編集者のモデルになったHさんには、その後も作者の漫画家人生の節目節目で貴重な助言をいただくことになるのだった。
(明日に続く)

2013年12月24日火曜日

マンガ全席第5話【アシスタント】


マンガ全席第5話【アシスタント】
マンガの原稿制作には、かなりの時間がかかる。一人で仕上げまでやっていると、とても週刊誌の連載などはできないので、アシスタントが必要になる。アシスタントといってもいろいろあり、作者名は漫画家のセンセイ一人になっているが、ほとんど合作に近いような場合もあるし、昔ながらの師匠と弟子の関係のようなものもある。完全分業のプロダクションシステムをとるところでは、専業のプロアシスタントともいえる人たちもいる。
『またずれ草』の会長も、そんなアシスタント稼業である。見学がてら表敬訪問した小津クンだったが、その過酷な現場を見てたじろいでしまった。あわよくば自分もどこかのアシスタントに、などと思っていたのだが、そもそもアシスタントとして通用する画力がない彼を、アシスタントとして使ってくれるところはない、というのがまぎれもない現実である。
(明日に続く)

2013年12月23日月曜日

マンガ全席第4話【プロの条件】


マンガ全席第4話【プロの条件】
プロ志望のマンガ少年達が集まった同人誌『またずれ草』の中で、プロ漫画家としての条件は何かと、メンバー同士の激論がかわされる。身も蓋も無い言い方になるが、そんなものはない。もしもあったら誰でもプロ漫画家になってしまう。そんな無意味な議論に明け暮れるなら、1ページでも原稿を描いた方がプロ漫画家になるには有意義であろう。後年、この『またずれ草』からもプロ漫画家になる者が出るのだが、概ね性格の悪い者がプロになる確率は高かったようだ。どんな世界でも、プロでやっていくには、いい人ではダメなような気がするのは、一つの真実かも知れない。
(明日に続く)

2013年12月22日日曜日

マンガ全席第3話【熱き血潮の同人たち】


マンガ全席第3話【熱き血潮の同人たち】
マンガ同人誌『またずれ草』のメンバーの中には、高校を中退してアシスタントになったりする者も出てきた。そんなうちのひとりで、一足早くプロの世界に足を踏み入れた会長のアパートに、夏休みともなれば全国からメンバーが集まり、熱いマンガ論を戦わせるのだった。六畳一間に多い時で10人くらい詰め込まれるわけだから、熱気だけでなく本当に暑苦しい。もちろんエアコンなんてない西日の当たる部屋である。階下には大家さんが住んでいたはずだが、夏休みの間中に大勢の人間が出たり入ったりして、よく苦情を言われなかったもんだ。70年安保で騒然としつつも、まだまだおおらかな世の中だった。
(明日に続く)

2013年12月21日土曜日

マンガ全席第2話【1969年の夏合宿】


●第2話【1969年の夏合宿】
マンガ同人誌『またずれ草』のメンバーはほとんどが学生だったので、実際に顔を会わせるのは夏休みということになる。メンバーのアパートに集合して、さながら夏合宿の様相を呈していた。
本編の主人公の小津忠男クンも、夏休みを利用して上京してきたのだが、そのうち自分もマンガ関係者が多くいるという練馬区に住もうと考え、ついでに不動産屋の物件を眺めてみた。そこで目にしたのは「マンガ関係者お断り」の注意書き。マンガ関係者って、どんな人たちなんだと、少しばかり不安になるのだった。
(明日に続く)

2013年12月20日金曜日

マンガ全席第1話【幻の肉筆同人誌】


突然スタートしたこのコンテンツ、そもそもは2008年に突如復活したマンガ同人誌「新つれづれ草」で、メンバーの原稿が集まらない時に、ページ調整の為に描いた穴埋め原稿が発端である。そんなスタートだったが、描いてるうちにだんだん興が乗ってきて、大幅に加筆修正したものが本編である。ただし、仲間内用に描いたものなので、そのままでは意味がよくわからないものも多く、今回公開するにあたって、蛇足ではあるが個々の解説文のようなものを付ける事にした。

第1話【幻の肉筆同人誌】
まだコミケもなかった頃、日本ではそろそろ原発が動き始め、当時のマンガ少年達も全国各地で動き始めていた。インターネットもない時代、各地のマンガ少年達は文通で情報交換をしつつ、気のあう仲間達で同人誌活動をするグループも出現していた。コピーも一般には普及していなかった時代なので、活動の中心は肉筆回覧誌だった。
このマンガに登場するマンガ同人誌『またずれ草』も、そんな同人誌のひとつである。
その頃実際に『またずれ草』という同人誌があったかどうかは定かではないが、仮に実在したとしても、このマンガに登場する『またずれ草』とは無関係であることを、おことわりしておく。
ニクヒツカイランシという語感が、かなり迫力あるが、B4画用紙に描かれた文字通り肉筆のマンガ原稿を綴じて、メンバーに郵便で送付して回覧するというものである。北海道から九州(この頃まだ沖縄は返還されていない。まぁ現在もアメリカの影響が強大という点では同じような気もするが…)まで散らばったメンバーの間を行き来するシステムなので、所在不明になったり、原稿が紛失したりと、約40年たった今では、当時のままで残っている『またずれ草』は一冊しかないというのが今回のオチである。
(明日に続く)

2013年12月17日火曜日

iPhone5 を首からぶらさげてみた


iPhone4S の時代はコネクタに差し込んで首からぶら下げるタイプのストラップを使用していたが、iPhone5 でコネクタの形状が変更になって、それまでのストラップが使えなくなり困っていたところ、やっと首からぶら下げるタイプの Colorant Link Outdoor NeckStrap Case ネックストラップケースを入手してこの問題が解決した。
もはや、時代は iPhone5 ではなくてiPhone5S の時代だが。

2013年12月9日月曜日

年賀状とビートルズと材木屋


今年も年賀状の季節になった。
漫画原作者の西ゆうじ氏が亡くなって十ヶ月。
もう彼からライカのイラストを描いた年賀状は来ないんだと思うと寂しさが募る。

1986年『家庭の事情』の原作者として彼と出会ったのが、交流の始まりだった。
それまで、原作付き漫画の経験がなかった僕と、放送作家から漫画原作者に転身中だった西ゆうじ氏との組み合わせを考えたのは、ビッグコミックオリジナル(小学館)の名編集者Hさんだった。
ある日、Hさんから電話がかかってきて、その内容は
「辰っつあん、原作付きやってみない?」
というものだった。
なんだかよくわからないまま編集部まで出かけて、原作のシナリオを見せてもらった。
それまで、原作付きの漫画に縁がなかったので、
「ヘ〜っ、漫画の原作シナリオはこういうものなのかァ」
と妙に感心したのを覚えている。
でも、あんまり原作付きに興味がなかったので躊躇していると、編集者Hさんがこう言った。
「内容はどんどん変えていいからね。それにこの人物だけど、シナリオでは男性だけど女性にしてよ」
原作と言うものは一字一句変えてはいけないのではと思っていたので、それならできそうだと引き受けることにしたのだった。
そんなわけで僕にとっての初めての原作付き漫画『家庭の事情』はビッグコミックオリジナル増刊号に掲載され、思いのほか評判がよかったようでシリーズ化されることになったのだが、一番とまどったのは、編集者でも原作者でもなく漫画家の僕だった。
そもそもこれまでずっと4コマ漫画中心の仕事だったので、アシスタントはいない。4コマ漫画に比べてページ数の多い原作付き漫画を、定期的に制作できる状態ではなかった。背景を手伝ってくれる人を、編集部に紹介してもらったり、劇画家(今、こんな言い方あるのだろうか?)の友人に紹介してもらったりと、なんとか量産体制を整えた。しかし、プロダクションシステムで制作するわけではなく、背景を外注するという方式なので、まずアシストしてくれる人のスケジュールをきき、それに合わせてネームから作画の日程を決めるという、なんだかよくわからない制作工程だった。4コマ漫画家なのに、なんでこんな苦労をしてまで原作付き漫画を描かねばならないのかと、悶々としつつもそれなりに楽しめたのは原作者の西ゆうじ氏との相性がなかなかよかったからだ。

彼とは、同じ話で何度でも盛り上がることができる感覚が共有できた。その都度、微妙に話の内容が違っているのだが、それでも楽しかったのだ。もしかしたら、お互いの話を全然聞いていなかったのかも知れないが、とにかくウマがあったんだろう。
他の原作者と漫画家との関係がどうなっているのかよく知らないが、我々はよく会って打ち合わせをした。それも編集者と打ち合わせをする前にだ。
まず、なんとなく構想ができたら西氏から電話がかかってくる。
まだシナリオができる前に二人で会って、あーでもないこーでもないと練り上げて行く作業は、常日頃ひとりで四コマ漫画の構成をやっている作業とは趣きが違ってなかなか面白かった。その合間に、全然関係ない話が入って、おおいに盛り上がるのは毎度のことだった。場所はファミレスが多かったのだが、あんまり美味しいとは思えないコーヒーを何杯もおかわりして、店を出る頃には二人とも腹がダボダボになっていた。
ある打ち合わせ後のこと、漫画の中にバッティングセンターだったかボウリング場だかが出てくるので、参考がてら見に行こうと言う事になった。彼の自転車に二人乗りしてファミレス前の急な坂道を下って行ったのだが、この自転車には荷台がないので、僕はハブ付近に足をのせて西氏の肩に手を置き、振り落とされまいと必死だったのを覚えている。当時二人とも三十代だったが、平日の真っ昼間から自転車に二人乗りして奇声をあげて坂道を下っている図は、若いのにリストラされた変な人たちね〜と周囲からは思われていたにちがいない。
その数日後、編集者との打ち合わせの場で、西氏が清書したシナリオを見せられるのだが、こちらはとっくに内容を知っているのに、さも初めて見たような雰囲気で受け取り、ネームから作画の作業に入るのだった。この時点で原作にはないアドリブを入れたりして最終的に原稿が完成する。
その原稿が掲載された誌面を見た西氏は、かならず次の回にはこちらのアドリブを踏まえたアイディアを出してくるのが常だった。
この『家庭の事情』はその後、ビッグコミックスペリオール、まんがライフオリジナルと掲載誌を変えつつ、単行本全三巻(竹書房:刊)としてまとまった。最終回は僕の提案でサイレント漫画でいこうということになり、西氏は全ページに渡りセリフのないシナリオに挑戦してくれた。作画の方も枠線以外は定規を使わないオールフリーハンド描画に挑戦したのは、今となってはいい想い出になっている。フキダシの部分がないので絵の面積が増え、いつもよりよけいに時間がかかってしまったのが、ちょっと計算外だったが。

最後に、ちょっといい話のような、そうでもないようなエピソードをひとつ。
高校生の頃、僕はヒッチハイクで野宿(テントなんか持たずに、公園やら、公衆トイレやら、公衆電話ボックスで眠るというもの)しながら日本中をまわったことがあったのだが、ある日、福井県の丸岡町という所にいた。別にここが目的地ではなく、たまたま直前にヒッチハイクしたクルマがここまで乗せてくれたからだけの理由だった。とても落ち着いた静かな町で、夏の昼下がりということもありシーンとしている。そんな中でどこからかビートルズが聴こえてきた。その家の前には沢山の材木がたてかけてあり、どうやら材木屋さんらしい。そうか、ここにもビートルズを聴いている人がいるんだ、僕と同じく高校生なのかな…と思いつつその町をあとにしたのだった。
そして十数年後、西ゆうじ氏と出会うのだが、きいてみると彼は福井県丸岡町の材木屋さんのご子息だった。年齢も一歳ちがいで、もちろん高校生時代はビートルズを聴いていたという。
果たして、あの時ヒッチハイクしながら偶然立ち寄った町で聴いたビートルズは、高校生だった西氏の部屋からだったのだろうか?

う〜ん、家業が材木屋だけに、「ザイモク見当がつきません」。

2013年12月5日木曜日

『原発ホワイトアウト』を読んで」いる


昨日この本を読みながら、なにげなくラジオの文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」をつけたら、『原発ホワイトアウト』作者の若杉冽さんのインタビューが流れてきた。  
まさにラジオと本の、独りメディアミックス状態(笑)になってしまった。
しかしまぁこの本、霞ヶ関省庁勤務だという著者ならではの、細部描写が妙にリアルで、読み進むにつれて恐くなってくる。
閉塞感漂う社会が、窒息感で満たされる社会になりそうな気配がする今、小説と言う形式のこの本の内容が現実になりそうで、だんだんうつむいてしまう2013年師走の午後。