2010年12月29日水曜日

久しぶりの灯油ストーブ


初めて下車する、寒風吹きすさぶC県HF駅。
目指すは、某忘年会会場に指定されたカラオケスナック。
駅から歩く事数分、暗闇の中に光る看板をみつけ店内に入る。
そこで目にしたのがこれ。

久しぶりに灯油ストーブを目にした。
すでに到着していたメンバーが、まるで焚き火を囲むようにその周囲にたむろしている。
冷えた体を温めるべく、その輪の中に入る。
時々背中側をあたためるために、回れ右をしたりししてボソボソ話す。
妙に快適すぎるエアコンよりも、直接炎を目にする灯油ストーブは、なかなかいいもんだ。

そうこうしているうちに、最後のメンバーもやってきて、あとは特に記す事もないカラオケ大会でほとんど話はできない。
歌の方はH.A.Oのリードボーカルにまかせて、打ち合わせのようなことをチョコチョコして、宴もたけなわの中、席を立つ。
駅までの道すがら、H.A.OのリードボーカルH氏と税金問題についてのよもやま話しつつ、寒風の中再びHF駅に着く。

この駅は、同じホームに複数の線が入っていて、本来乗るはずの路線ではない電車に乗ってしまった。
しかし方角的には合ってるのでそのまま乗り続け、往路とはちがうルートで帰宅。
なんだか遠回りしたような気もするが、まぁ無事に帰れたんだからいいか。

2010年12月24日金曜日

ひとコマ漫画ファンに贈るクリスマスプレゼント『ユキウシ』


というわけで、Twitterで予告したように、ひとコマ漫画ファンに贈るクリスマスプレゼント『ユキウシ』の、はじまりはじまり〜。
1日1コマずつ、追加更新して行く予定です。
1年後には365コマになっている計算だが、はたして...。

2010年12月7日火曜日

ウクレリアンの極み・おまけ篇ePub版


電子書籍元年と言われて10年くらいたってますが、今年はホントにそんな感じになってきました。
そこで、『ウクレリアンの極み・おまけ篇』ePub版を作ってみました。
iPadではキレイに見えますが、iPhoneだと余白が広すぎるせいかちょっとアレです。
近々、本編も公開開始予定なので、その時までには、もう少しちゃんとしたものにしますので、乞うご期待!

2010年12月5日日曜日

ウサレレ年賀状


2011年用の年賀素材集『まるたつ年賀素材2011』が、正式にベクターからダウンロードできるようになりました。
もちろんウサレレもありますよ♪

2010年12月2日木曜日

博ボラ日誌その28 ボランティアの壁


おなじ博物館に行くのでも、博物館ボランティア活動で行くのと、お客として行くのでは何かが違う。
一番の違いは壁との関係。
お客で行くと、壁の作品に向かって視線をそそぐ。
ボランティアで行くと、壁を背にして来客者に視線をそそぐ位置に立つことになる。
同じ立ち位置でも見える世界が変わるのが面白い。

今日は、韓国人初老男性の接客をした。
ただハングルのリーフレットがあるよと、手渡しただけなのだが、オマエちゃんと喋れるではないかとお世辞を言われるのがが定番コース。
これに対して、まだダメですよと謙遜するのも、いつもの流れ。
で、去り行く男性に「アンニョヒカシプシオ」と敬語表現の別れの言葉をかけたら、こちらをふりかえりもせずに背中で「ウ〜」との返事。
まるで韓国時代劇みたいなセリフ回しがきまってました。
こんなシーンは、壁を背にする博物館ボランティアならではのことで、なかなか楽しい事ではある。

2010年11月30日火曜日

新つれづれ草第1回マンガ原画展レポート


Twitterでは既報ですが、シニアのシニアによるシニアのためのマンガ同人誌「新つれづれ草」の第1回マンガ原画展の模様をアップしました。
第1回と銘打つからには、第二回があるのでしょうか?

2010年11月25日木曜日

博ボラ日誌その27 PCアンケートは指かペンで


「東大寺大仏—天平の至宝—」会場内には、PCアンケートコーナーがある。
第一会場から第二会場に行く途中の通路横にモニタが3台置いてあるのだが、使ってる人は少ない。
博物館ボランティア活動の一環として、サクラになってアンケートを試してみた。
しかし、このタッチパネルの感度が悪くて、なかなか先に進めなくてイライラする。
ふとモニタの台座付近に、タッチペンを発見して、試してみたら指タッチよりは反応があるが、まったくキビキビしていない。
例えれば、iPhone 3G にiOS4を入れた感じ。
などと言ってもわかる人にしかわからない、わかりにくい例えになってしまった。

2010年11月20日土曜日

『まるたつ年賀素材2011』のお知らせ


まだ年賀状も購入してないのに、2011年用の年賀素材集『まるたつ年賀素材2011』を公開しました。
今年は、これまでとちがってインドネシア語版が加わっています。
インドネシアに年賀状があるのか、干支があるのか知りませんが、まぁ市販の年賀状素材集には、たぶんこのようなものはないでしょう。
正方形サイズの10点セットで、縦にも横にも使えて便利です。
単なるJPEGファイルなので、MacでもWinでもOKです。

2010年11月11日木曜日

博ボラ日誌その26 アフロ如来じゃなくて、アミダ如来さん


「東大寺大仏—天平の至宝—」の順路で最後に対面するのが、このアフロ如来さん。
なんせ、あまりに長い間瞑想したもんだから、こんなヘアスタイルになってしまったってんだから、もう吃驚仰天!
どのくらい長い間かというと、五劫のすり切れパイポパイポ…じゃあ寿限無になってしまいます。

2010年11月10日水曜日

博ボラ日誌その25 小指立ってます


「東大寺大仏—天平の至宝—」には、様々な像が展示されているが、とても鮮やかな色が残っているものがある。
鎌倉時代の色とは思えないくらい鮮やかだ。ざっと数えて800年は経っているのに。

しかし色より印象的なのが右手の小指。
ピン!と立ってます。
さて、この像は何でしょう?会場を見回してさがしてみてください。
ヒント、彼の出身地はUSAです。
ただし九州のね。

2010年11月9日火曜日

博ボラ日誌その24 八角燈籠は奈良からやってきた


「東大寺大仏—天平の至宝—」に大仏さんは来なかったが、そのかわりなのか、八角燈籠さんがやってきた。
日頃は外に置いてあるものを屋内で見るのも珍しい体験ではある。
高さは4メートル以上だから、たしかに大きいのだが、こういうシチュエーションだと、どう大きいのかよくわからないのも事実。
来場の皆さん、八角燈籠のまわりをグルグルまわってらっしゃいますが、東大寺にある時は、そんなにグルグルまわる人は少ないんじゃないでしょうか。でもせっかくですから、ここはひとつグルグルまわってみましょう。

2010年11月8日月曜日

博ボラ日誌その23 試みの大仏を、じっくり見るのココロ


「東大寺大仏—天平の至宝—」会場の一角にさりげなく展示してあるので、うっかり見過ごしてしまいそうになるのが、この「試みの大仏」。
奈良の大仏さんが来ていない大仏展だけど、この「試みの大仏」さんは大きさでは負けるものの、存在感では負けてはいない。
なんとなく猫背のポーズは、見るものを和やかな雰囲気にしてくれる。
左手の指先も緊張感がなくて、日本相撲協会理事長の魁傑さんの現役時代の指先のようで微笑ましい。
ぜひ、見過ごさないで、じっくり見てほしいのココロ。

2010年11月7日日曜日

博ボラ日誌その22 午後の紅茶+つばらつばら


「東大寺大仏—天平の至宝—」が開催されているのは、東京国立博物館本館ではなくて平成館。
この館の正面入り口から入って左側の奥にはラウンジがあり、ゆったりしたソファでくつろぐことができる。
このラウンジには、特別展会期中はお店が出る。
先週、博物館ボランティア活動の日に行ってみたら、和菓子屋さんが出店していた。
ここでお土産に箱入りを買うのもいいけど、バラ売りもあって1個だけ買うこともできる。
今回のお気に入りは「つばらつばら」というお菓子。たしか140円くらい。
飲み物は、チラシが置いてあるつい立ての裏側にある自販機で買える。
オススメは「午後の紅茶」。
ここは夏でも熱い缶があるので、ホット飲料好きにはありがたい自販機コーナーだ。

展示を見た後の休憩タイムにも、見る前のひと休みにも使えるこのラウンジを、是非経験してみてほしい。
ところで、この「つばらつばら」の意味は、しみじみともの思いにふけるということらしい。
ラウンジ内にある大仏さんの手のレプリカの前で記念写真に興じる人々を見ながら、つばらつばらといきますか。

2010年11月6日土曜日

博ボラ日誌その21 ここだけのフィギュア


東京国立博物館で開催中の「東大寺大仏—天平の至宝—」では、ここだけしか買えないお土産もある。
地下のミュージアムショップではなくて、特別展のある平成館2階のおみやげコーナーで売っている海洋堂の制作のフィギュアがこれだ。
数に限りがあるらしいが、11月4日に見かけたときはまだ在庫があったので、欲しい人はお早めにどうぞ。
たしか2種類のフィギュアがあったような気がするが、このイラストはあくまでもそのイメージなので、実物は会場で確かめてみてくほしい。

2010年11月5日金曜日

博ボラ日誌その20 縹縷と書いて「はなだのる」


東京国立博物館で開催中の「東大寺大仏—天平の至宝—」で、今週から、正倉院宝物の公開がはじまった。
中でも一番の注目は、752年に大仏さんの開眼供養会で使用した筆と紐。
この紐は縹縷(はなだのる)というそうで、今も青い色が鮮やか。筆も、今でも使えそうなくらい保存状態が良い。
紐の長さは200メートルくらいあるそうだが、まとめてしばった状態で展示してある。

この筆と縹縷は、ガラスケースの中に、他の宝物と並べて展示してあるのだが、観客の皆さん、なんとなく流れにおされてしまい、そのままスルーの人も多い。
スルーするのは、いかにももったいない。
展示方法を変えて、筆と縹縷だけ、別のケースに展示したらもっと注目を浴びたんじゃないだろうか。
どちらにしても、この紐と筆の先に開眼時の大仏さんの姿がイメージできて、気分は一気に1250年もさかのぼる。

この既視感は何かと思ったら、『まんが日本の歴史人物事典』で、自分でもこの場面を描いていた。
既視感じゃなくて、既描感だった。
この時は資料が何もなく想像で描いたのだが、ちょっと筆が大きすぎたが、まあ雰囲気は出てるからよしとしよう。

2010年11月4日木曜日

博ボラ日誌その19 コレは鉛筆削りデス


博物館ボランティア活動をしていると、思わぬ質問にでくわすことがある。
本日の衝撃度ナンバーワンの質問は
「コレは何ですか?」
30代の日本人女性が指さす先にあるのは、上のイラストのようなごくふつうの鉛筆削り。

館内の一角にスタンプを押してオリジナルポストカードを作るコーナーがある。
その作業机の上に、スタンプや鉛筆や鉛筆削りが置いてあるのだが、その鉛筆削りを指差して「コレは何ですか?」と聞かれたら、「コレは鉛筆削りです」と答えるしかないではないか。
もしかして、オジさんをからかってるのかと思ったらそうではなかった。
その女性は電動鉛筆削りしか見た事がないそうで、このイラストのような手動式の鉛筆削りは初めて見たという。

「じゃあどうぞコレで鉛筆を削ってください」
と、彼女のほうに差し出したら、
「どうやって使うんですか?」
という答えがかえってきた。
で、鉛筆を削る実演をお見せしたら、妙に感心されてしまい、こちらも面食らってしまった。
つい調子に乗って、
「昔の洗濯機も、この鉛筆削りと同じようにハンドルをグルグル回していたんですよ」
と話したら、怪訝な表情をされてしまった。
更に悪のりして、
「昔の電気製品で、冷蔵庫は電気じゃなくて氷で冷やしてたんだよ」
なんて言い出してしまい、さらにキョトンとした顔をされてしまった。

戦争体験のようなたいへんな出来事でさえ、なかなか次の世代に伝わらないのだから、このような些細な事が世代を越えて伝わらないのもしかたないかと、妙に納得してしまう。
そんなわけで、久しぶりに鉛筆をガリガリ削る感覚を手に残して、博物館ボランティア活動の一日は終わるのだった。

2010年11月2日火曜日

博ボラ日誌その18 大仏さんの手


本日は、一般客が退館した後に開催される、博物館ボランティア対象の解説会。
なにげなく通ると見過ごしてしまいそうな展示物をていねいに解説していただき、時間のたつのを忘れてしまう。
しかし6時半になると館内は自動的に消灯になり、暗闇の中での解説は続くのだった。
非常灯に照らされる像は、現代の通常の照明よりも当時に近いのかも知れないと考えると面白い。

写真はラウンジにある大仏さんの手のレプリカ。
ここなら平常展のチケットで入れるので、特別展を見る時間がない場合でも、足を運んで損にはならない。

祈りの杜

義兄・藤田庄市の写真集『祈りの杜』。
明治神宮鎮座90年記念写真集です。
普段は入れない夜の杜に映える月が印象的。


2010年10月24日日曜日

森下のアーゲード修復看板


森下文化センターで開催された講座『マンガを語る』の第3回に行ってきた。
今回は、辻真先×みなもと太郎で、対談「作家によるマンガ評論」。
内容は秘蔵資料も見せていただき、楽しい催しだった。

講座の内容とはべつに印象深かったのがこの看板。
8月の第二回に行った時、会場までの道筋の商店街で見かけて、写真に撮らずじまいで気になっていたもの。
う〜ん、何度見ても「アーケード」ではなくて「アーゲード」。
見間違いではないことが確認できた。

この商店街、歩行者天国開催中なのに、歩行者が一人もいなかった。
「アーゲード」修復はいつの日か。

2010年10月18日月曜日

『まんが日本の歴史人物事典』7刷!


というわけで、コシャマインさんも大活躍の『まんが日本の歴史人物事典』7刷が出ました。
登場人物が全て故人になってしまったのが、これまでの刷とちがう点でしょう。
目標の100刷まで、あと93刷となりました。

2010年10月9日土曜日

「新つれづれ草」マンガ原画展チラシ


40年ぶりに復刊した、シニアのシニアによるシニアのためのマンガ同人誌「新つれづれ草」のマンガ原画展が、千葉県八千代市のおそば屋さん「さわ田茶家」さんで、11月9日(火)〜10日(水)午前11時より午後4時に開催されます。
会場が蕎麦屋さんというのがシニアらしいね。

2010年10月3日日曜日

博ボラ日誌その17 実践インドネシア語会話

今日は「留学生の日」で、留学生は入館無料なので、博物館はいろんな所から日本にやってきた留学生でいっぱいだった。
私の担当日は今日ではないが、外国語が話せる(習熟度問わず、自己申告制)ボランティアとして、一日活動をしてきた。
でも、留学生の皆さんは日本語を使いたがってるので、私は中国語も朝鮮語も使う機会がなかった。

そんな中、インドネシア人らしき青年がいたので
「orang Indonesia?」(インドネシア人?)と声をかけたら
「え〜っ、どうして」と日本語で返答する彼
「Saya belajar bahasa Indonesia.」(私はインドネシア語を勉強しています)と私
「うれし〜です」と再び日本語で返答する彼
「Selamat sore.」(夕方の挨拶の、こんにちは)と私
「日本語でその挨拶はありません」と日本語で返答する彼
「・・・」もうインドネシア語が出ない私
「インドネシア語は日本語より簡単です」と彼
「Selamat tidur.」(おやすみなさい)と私

その後は、会話は続かないのだった。

2010年10月2日土曜日

顔のパーツインドネシア語ひとまとめ


単語カードを作るのも面倒なので、こんなん作ってみました。
これで顔関係のインドネシア語はこれでOK!
ちなみに、肝心の「顔」はmukaです。

2010年9月30日木曜日

雨の明治神宮で、写真は幕の内


藤田庄市氏の写真集『明治神宮祈りの杜』( 平凡社)の出版を記念し、明治神宮回廊で写真が展示されるときいて雨の中を出かけたら、雨対策で青い幕がかけられていた。
表参道ヒルズのギャラリー・コーワでも数点展示されているということで、そちらにまわってみた。
ちなみに明治神宮は日の出とともに開いて、日没とともに閉まる。きょうは5時20分。

2010年9月28日火曜日

2010年9月18日土曜日

6年ぶり「大胆な対談」復活!


数ヶ月前のドメイン変更に伴い、ホームページも一新しましたが、その際コンテンツの仕分けをおこない、かなりシンプルな構成にしました。
そんな仕分け対象のひとつに「大胆な対談」もありました。

本人もすっかり忘れていたこの「大胆な対談」ですが、読者様からアレを読みたいんだけどどーなってるんだ?とのリクエストをいただいたので、このたび6年ぶりに更新して復活しました。
今後も更新は続くのかは、神のみぞ知る...。

2010年9月14日火曜日

約400ページかきおろし単行本は100%データ原稿予定


いったいどーなっておるのかとのリクエストがあったので、約400ページかきおろし単行本の現状について書きます。
発売予定:再来年
締め切り:来年
現状:ネーム60ページくらい
原稿:100%デジタルデータ予定
とまぁこんな感じです。

注目は、完全データ原稿になること。
これだけ大量のページを全てデータ渡しにするのは初めてなので、ちょっと緊張している。

作業の流れはこんな感じですすめる。
(1)資料のデキストデータを受け取る。拡張子.docファイルだが、長年Macユーザをやっているとなんでも対処できるもので、とりあえずはテキストエディットで中身を確認。
(2)ネームをPDFファイルにして送り編集者と打ち合わせ。この段階でのやりとりはお互いにPDFでおこなう。
(3)いよいよ作画。ソフトは何を使ってもいいが、最終的にはpsdかepsで保存したファイルを渡す。
(4)絵のみの(3)のファイルと文字データtxtをサーバに上げて、編集者にダウンロードしてもらう。大容量ファイルだとメール添付の場合は時間がかかるし、サーバに置いておけばバックアップにもなる。
(5)この後は、出版社と印刷所の守備範囲なので、基本的にはタッチしない。たぶんAdobe InDesignでの作業なんじゃないだろうか。ということはAdobe InDesignで開けるファイルならなんでもいいともいえるわけだ。

で、最終的には印刷された本が書店に並ぶわけだが、電子書籍版販売なんてことも視野には入れている。
てなことをゴタゴタ言う前に、まずは肝心の原稿を描かないと何も始まらないのは、アナログでもデジタルでも変わらない真実。

2010年9月9日木曜日

博ボラ日誌その16 ほろ苦インドネシア語デビュー

今日の博物館は、外国人の見学者が多かった。
米語話者の「rest room?」攻撃に対しては、「basement」(*1)で凌いだし、日本語のわからないアジア系に対しては、中国語か韓国語で切り返してその場を凌いだ。

しかし、そんな中で、今日は初体験をした。
マレーシアからきた見学者がいたので、これはインドネシア語を実際に使ってみるチャンスだとばかりに、積極的に話しかけてみたのだ。
と言うのも、インドネシア語はマレーシアでもかなり通じるときいていたからだ。
さっそく、「私はインドネシア語を勉強しています」(*2)と言おうとしたのだが、勉強を意味するbelajarがとっさに出てこない。
思わず流れで言ってしまったのは「私はインドネシア語です」(*3)

意味不明である。
ココロの準備をまったくしていなかったのが敗因だろう。
5分後には思い出したのだが、今更そんなことをわざわざ言うのも変なので、何も言わなかった。
ほろ苦いインドネシア語デビューだった。

(*1)トイレは地階にある
(*2)Saya belajar bahasa Indonesia.
(*3)Saya bahasa Indonesia.

2010年9月7日火曜日

スクープ!優秀な成績表


ミスター・オダンディが10月からインドネシア語科を休学することになり、一部では成績が悪く落第したのだろうと噂されていたが、本誌編集部が独自ルートで成績表を入手したので、一挙に大公開!
これが本物なら、ちゃんと試験はパスしていた模様である。
どちらにしても、先生方にかなり高いゲタを履かせていただいたようだ。

2010年9月6日月曜日

トマトチーズサンド


週末3日間夏風邪で寝込んでしまった。
体調が悪くなると食べ物の嗜好も変わるようで、今回はトマトチーズサンドを食べては眠る繰り返しでなんとか蘇る事ができた。
せっかくだから、ちょっとインドネシア語のお勉強。
トマトはtomat(トマッ)、チーズはkeju(ケジュ)、パンはroti(ロティ)。
これを合わせればトマトチーズサンドだが、これをインドネシア語でどういうかはまだ習ってないのでわからない。

2010年8月29日日曜日

森下のアーゲード


森下文化センターで開催された講座『マンガを語る』の第二回に行ってきた。
講師は作家の辻真先さんで、今回のゲストは編集者の綿引勝美さん。
実は、綿引さんが少年チャンピオン在籍時に、新人マンガ家だった、おだ辰夫を担当していただき、何本か描かせていただいた記憶がある。
本日のテーマは、「マンガの持つ可能性」と銘打ち、貴重な資料も見せていただき、有意義かつ楽しい講座だった。

で、帰路の商店街(のらくろロード?)のガードレールに、手書きで「アーゲード」と大書してあるのを発見。
写真を撮らなかったので、曖昧な記憶で再現するとこんな感じ。
アーゲード...。

2010年8月16日月曜日

コミケの疲れは翌日に出る


昨日は酷暑の中のコミケの一日だった。
中高年参加者は、翌日に疲れが出る。
右手の疲れは、一日中パタパタやっていた団扇あおぎ疲れ。
左手の疲れは、売れ残りのマンガ同人誌「新つれづれ草」を持ち帰った重み。
そんなわけで、通信販売もやってるぞ!

2010年8月12日木曜日

博ボラ日誌その15 足がつる真夏の昼下がり


日頃の運動不足のせいか、博物館ボランティアの活動も午後になると疲れが出てくる。
毎回3時過ぎると、足の裏あたりの筋がこってきて、イテテテ〜となってしまうのだ。
必死で外国語で接客してる時に、急に足の裏が痛くなりモジモジしてしまい、不審な視線を浴びる真夏の午後。

2010年8月5日木曜日

博ボラ日誌その14 ターンが大事

ひさしぶりに博物館ボランティア。
きょうはG中学の3年生が就業体験学習でやってきて、一緒に活動をすることになった。
ボクと一緒に現場に立ったのはS君。
学校では第二外国語にスペイン語を勉強しているというので、スペイン語圏のお客様の案内はまかせることにした。
そこに都合のいい(?)ことに欧米系の男性がやってきた。
しかし英語圏の人らしかったが、せっかくだからS君に応対をまかせてみた。

我々は、その時は1回の通路にいたのだが、どうやらそのお客様は2階に行きたいようで、S君もがんばって英語で受け答えをしている。
この場所からは、2階への階段は見えないので言葉で説明するしかない。
順調に説明していたのに、最後に何度も聞き返されて困っている様子だ。
どうも、左に曲がってという、 turn left が通じていないようで、横から turn left とボクが手助けして、そのお客様もわかったようで、2階を目指して去って行った。

日本式に「ターン」と言っても絶対通じないよと、以前からヘンリーおじさんに言われていたが、ほんとにそうだった。
このことが頭にあったので、ボクはヘンリーおじさん仕込みの turn でなんとかこの難局をのりきったわけだ。

実は、わが英語の師でもある、ヘンリーおじさんとの極秘(笑)共同企画が、現在進行中なのだ。
これも何かの縁だから、ここでこっそり発表しておこう。
詳細は順次お知らせするので、乞うご期待!

2010年8月2日月曜日

『マンガ全席』で暑中お見舞い申し上げます


40年ぶりに復刊したマンガ同人誌「新つれづれ草」4号ができました。
今回は大好評群像ドラマ『汗かきおちんこ君』は休載させていただきますが、差し替えとして『マンガ全席』でごきげんを伺います。
好評なら続編もあるかも知れません。

というわけで、コミックマーケット78で「新つれづれ草」4号を販売します。
当日まで待てない方には、通信販売でもお求めいただけます。

日時:2010年8月15日(日曜日)
場所:東京ビッグサイト西地区『の』ブロック-15A
報道等では大混雑の模様が映し出されますが、あれは一部の人気ブースだけでして、私たちの周辺のブースはいたって静かですのでご安心(笑)ください。

2010年8月1日日曜日

さよならodada.jp、こんにちはodamanga.com

かねてからお知らせしていましたが、ドメイン移行作業が完了しました。
昨日でodada.jp関連のメールやサイトは業務を終了して、本日より、odamanga.comに統一いたします。
今後のメールやサイトは odamanga.com で運営していきますので、よろしくお願いいたします。

2010年7月24日土曜日

博ボラ日誌その13 博物館ボランティア解雇寸前

報酬のない博物館ボランティアなのに、実はノルマがある。
それは、月に二日間の終日勤務。

月に二日間ならたいしたことないだろうと気楽に考えていたら、これが意外と負担だった。
終日身柄を拘束されるような形態の仕事をしたことのない身には、なかなかキツい。
それでもなんとか4月以来、このノルマをこなしてきたが、ついに今月は1日も行く事ができない状況になってしまい、その分を来月にまわすことになった。
つまり来月は四日間も終日勤務をすることになる。

最初の半年間で計12回のノルマを達成できない場合は、ボランティア契約解除になるそうなので、ここが踏ん張りどころではある。
交通費も食事も自腹で、ノルマに苦しむボランティア生活は果たして続いていくのか。

2010年7月4日日曜日

あすなひろし初の原画展


40年ぶりに復刊したマンガ同人誌『新つれづれ草』の取材をかねて、ヤスダアートリンクで開催中のあすなひろし原画展に行ってみた。
印刷ではほとんどつぶれてしまう細い線を、ナマで見るだけでも価値がある原画である。
これはもう、単なる印刷用の原稿といったものではない。
あの細さは丸ペンの線だと思っていたが、展示されている遺品のペン先を見るとカブラペンだった。

本日は、みなもと太郎氏とあすなひろし氏のお姉様のトークイベントがあるということで、100人以上の人が集まり大盛況。
会場には、チラホラ知った顔もある。
杉浦茂愛読家の嶌津よたろう氏の姿も見かけ、ちょっと立ち話をする。

ほんと、マンガとその周辺には、面白い事が多い。
というわけで、この日のレポートの詳細は、8月15日にコミケで発売の『新つれづれ草4号』で見てちょ!

2010年6月24日木曜日

博ボラ日誌その12 アイシテルとカタカナで

博物館には外国人も多く来る。
私は主として中国語と朝鮮語担当(習熟度を問わずの自己申告で、その言語のバッジが支給されて、首からぶらさげている)なのだが、たまには欧米系の外国人の相手もする。
きょうは、フランス人の青年が、恋人に出す絵ハガキに日本語でメッセージを入れたいので、見本の文字を書いてくれといってきた。
「愛してる」と書いて見せたら、「愛」の文字がうまく認識できないようで、もっと違うのはないかと言っている(ような気がした、なにぶん英語なもんで)。
で、カタカナで「アイシテル」と書いた縦書きのメモを見せたら、見よう見まねで文字を書き始め、なんとかそれらしく書き上げたようで、メデタシ、メデタシ。
でも、この絵ハガキをもらうはずの彼女もフランス人なので、カタカナは読めないんだけどね。

2010年6月12日土曜日

ありがとう


ありがとう。 
Terima kasih.

インドネシアで、この一言があれば、とにかくなんとかなると、水前寺清子も言っている。
えっ、何のことかわからない?
昔、そんなタイトルのドラマがあったんです。
こんなくだらない文をよんでくれて、トゥリマ カスィ。

2010年6月10日木曜日

博ボラ日誌その11 気分はコンバット

博物館内での連絡用に、トランシーバーを持たされている。
いままで使ったことはなかったが、今日初めて使う機会があった。

思わず、
「チェックメイトキングツー、チェックメイトキングツー、こちらホワイトロック」
などと口走りそうになったが、グッとこらえて冷静に対応したボランティアなのだった。

2010年6月8日火曜日

私の仕事はサムライです


私の仕事はサムライです。
Pekerjaan saya adalah Samurai.

私の仕事はサムライですって、いきなり刀を抜くのは、どうなんでしょうか。
サムライの部分を変えると応用が利きます。
たとえば教師はguru(グル)。
医者はdokter(ドクトゥール)。
力士はpegulat sumo(ペグラットスモ)。

2010年6月6日日曜日

新ドメイン odamanga.com の日々

今でも6月6日は参観日なのだろうか。
そんなこととは関係なく、ドメインとサーバ引っ越しの後始末をしている。
まだ古いドメインも生きてはいるが、ほとんど新ドメイン&新サーバで作業している。
パーミッションの設定を間違えたのか、サイトが見えなくなったり、逆にディレクトリの中が丸見えになったり、まだまだあたふたしている今日この頃。

しかし一番変わったのは、運営費用が軽減されたこと。
今までの約四分の一で、今までと同じような環境でドメインを運営できるのだから嬉しい。
さくらインターネットというところを利用しています。
いまんとこオススメです。

2010年5月29日土曜日

オダマンガ・ドット・コム誕生!


iPadの日本発売を言祝いで、新ドメインの新サイトが誕生しました。
その名も【オダマンガ・ドット・コム】
以前の【おだだだJAPAN】と、どこが違うかというと、FLASHコンテンツが減ったことです。
だって、残念ながら iPhoneやiPadからはFlashで作成したコンテンツは表示されませんからね。

今回のドメイン変更に伴い、これまでのドメイン odada.jp のメールアドレスは受信できなくなります。
関係各方面には、近日中に新しいメールアドレスをお知らせいたしますので、よろしくお願いします。
それまでに連絡事項がある場合は、【オダマンガ・ドット・コム】のcontactから送信をお願いします。
というわけで、これからの【オダマンガ・ドット・コム】に、乞うご期待!

2010年5月27日木曜日

博ボラ日誌その10

博物館ボランティアの昼食問題について。
博物館のまわりには飲食店がない。
館内にはレストランがあるが、ホテル○○の、なんとかレストランで、ランチは2000円くらいする。無給のボランティアには手が出ない。
で、近くのG大の学食に行く。
美術と音楽の学食があるが、本日は音楽のほう。
ここは食券を買う方式ではなく、係のオジさんに料金を払って食券を受け取る方式。
食券を渡すときにオジさんは言う。
「はい、センセイ、盛り合わせランチ!」
そう、ここでは、学生に見えない人は、みんなセンセイになるのだった。

それにしても、よくわからないのが、ここの価格設定。
たとえば、盛り合わせランチは510円なのだが、510円を出すと、食券と一緒に10円を返してくれる。
これは一体どういうシステムになっているのだろうか。
最初から500円しか出さないで、様子をみたいものだが、
「510円って料金表に書いてあるでしょ、センセイ字が読めないの?」
と、オジさんから言われそうで、とても実行できない。
もしかして、返された10円をオジさんにチップとして手渡すのが暗黙の了解になってたりして。
ああ、真実は如何に。

2010年5月20日木曜日

学士会館VS.巣鴨駅


JR巣鴨駅のとげぬき地蔵側出口エスカレーターと、神保町の学士会館駐車場から館内に入るエスカレータと、どっちが低速度なのかとういう論争に終止符を打つべく、先日現地取材を敢行した。
写真は、学士会館のもの。
駐車場の隅にあるので、今日のような雨の日は濡れる。

あくまでも体感だが、学士会館のほうが遅い気がした。
これは利用者の質の違いかもしれない。
即ち、巣鴨はまだまだ元気なおばあさんが中心で、学士会館はだいぶ元気のなくなったおじいさんが中心だからだ。
やはり、おばあさんのほうが長生きしそうではある。

2010年5月17日月曜日

はい元気です


インドネシア語は、同じ音を重ねる事が多い。これもその一例。
baikは、良いの意味。sajaは、だけ、ばかりの意味。
これは、ひとつのつながりとして覚えましょう。
Apa kabar?ときかれたら、Baik-baik saja.
これで出会いの挨拶はもう大丈夫。

2010年5月10日月曜日

元気ですか?


元気ですか?
Apa kabar?

インドネシア人に道であったら、話しかけてきました。
apaは「何」、kabarは「ニュース」「知らせ」の意味。
これを組み合わせると、お元気?とか、はじめまして、の意味になる。
さあ、いよいよ、インドネシア語での会話がはじまります。

2010年5月6日木曜日

博ボラ日誌その9

これまでは、先輩の博物館ボランティアとペアで活動していたが、ついに今月からは一本立ち。
なんか難しい質問をされたら困るから、難しい質問をしそうな人が近づいてきたら目を合わせないようにすることにした。
万一に備えて、博物館の案内説明pdfをiPhoneに入れてはいるが、動作がいまいちなので、どうも実戦には役立ちそうにない。
相手もiPhoneユーザなら、またちがった意味で話が盛り上がるかも知れないが。

そんなわけで、中国語OKバッヂをつけて現場に立った。
とはいってもほとんどは日本人の来客だから大丈夫だろうと、気軽に近づいて来た青年に声をかけたら、こっちを見てキョトンとしている。
こりゃもしかして中国人かと思い、慌てて脳内を中国語に切り替えて確認したら、やはりそうだった。
最近は中国語を使う機会がないので私の中国語はひどいのだが、あなたは私の中国語を聞いてちゃんとわかりますか?などという言い訳を言いつつ時間を稼ぎ、なんとか会話をすすめて、ワークショップを楽しんでもらった。

そのあとやってきた女性はどうみても日本人顔。
自信をもって日本語で話しかけるが反応が悪い。おお、中国人2連発かとはりきるが中国語は通じない。よっしゃ、韓国人だなと朝鮮語に切り替えるがこれもダメ。
突如彼女が口を開いた。English...。
意外な展開にとまどいつつも英語に切り替えるが、もはやしどろもどろ。英語OKボランティアにタッチ。

その後、英語OKボランティアと話したのだが、来客用のロッカーの説明英文が間違っているそうだ。
ボクが付けている中国語OKバッヂの文章も文法的には間違っている。最初に会った中国人青年にこのバッヂを見せて、文法はどうかときいてみたが、だいたい合ってるような返答ではあった。しかしこの青年は台湾から来た人なので、バッヂの簡体字がちゃんとわかったのかどうかは定かではない。

そうしていると、なんとなくキョロキョロしている欧米系外国人がいたので、英語版リーフレットを手渡そうとしたらフランス人だった。なかなかうまくいかないもんである。
と、こう書くと外国語案内が主要業務のようだが、その実態は、トイレの場所やら、館内で迷ってしまい出口をたずねる人への対応がほとんどなのでした。

2010年5月4日火曜日

私の年は50歳です


私の年は50歳です。
Umur saya lima puluh tahun.

sayaが私なのは覚えてますよね?
lima puluhは数の50。
uの音は、日本語のウより唇を丸めて発音すると、それらしくなるみたい。
人間50年〜下天のうちをくらぶれば〜夢まぼろしのごとくなり〜♪
現代の平均寿命からすれば、あと30年は生きられる。
これだけあればなんだってできる。
インドネシア語だってできる...はず。