博物館ボランティアの昼食問題について。
博物館のまわりには飲食店がない。
館内にはレストランがあるが、ホテル○○の、なんとかレストランで、ランチは2000円くらいする。無給のボランティアには手が出ない。
で、近くのG大の学食に行く。
美術と音楽の学食があるが、本日は音楽のほう。
ここは食券を買う方式ではなく、係のオジさんに料金を払って食券を受け取る方式。
食券を渡すときにオジさんは言う。
「はい、センセイ、盛り合わせランチ!」
そう、ここでは、学生に見えない人は、みんなセンセイになるのだった。
それにしても、よくわからないのが、ここの価格設定。
たとえば、盛り合わせランチは510円なのだが、510円を出すと、食券と一緒に10円を返してくれる。
これは一体どういうシステムになっているのだろうか。
最初から500円しか出さないで、様子をみたいものだが、
「510円って料金表に書いてあるでしょ、センセイ字が読めないの?」
と、オジさんから言われそうで、とても実行できない。
もしかして、返された10円をオジさんにチップとして手渡すのが暗黙の了解になってたりして。
ああ、真実は如何に。
2010年5月27日木曜日
2010年5月20日木曜日
学士会館VS.巣鴨駅
2010年5月17日月曜日
はい元気です
2010年5月10日月曜日
元気ですか?
2010年5月6日木曜日
博ボラ日誌その9
これまでは、先輩の博物館ボランティアとペアで活動していたが、ついに今月からは一本立ち。
なんか難しい質問をされたら困るから、難しい質問をしそうな人が近づいてきたら目を合わせないようにすることにした。
万一に備えて、博物館の案内説明pdfをiPhoneに入れてはいるが、動作がいまいちなので、どうも実戦には役立ちそうにない。
相手もiPhoneユーザなら、またちがった意味で話が盛り上がるかも知れないが。
そんなわけで、中国語OKバッヂをつけて現場に立った。
とはいってもほとんどは日本人の来客だから大丈夫だろうと、気軽に近づいて来た青年に声をかけたら、こっちを見てキョトンとしている。
こりゃもしかして中国人かと思い、慌てて脳内を中国語に切り替えて確認したら、やはりそうだった。
最近は中国語を使う機会がないので私の中国語はひどいのだが、あなたは私の中国語を聞いてちゃんとわかりますか?などという言い訳を言いつつ時間を稼ぎ、なんとか会話をすすめて、ワークショップを楽しんでもらった。
そのあとやってきた女性はどうみても日本人顔。
自信をもって日本語で話しかけるが反応が悪い。おお、中国人2連発かとはりきるが中国語は通じない。よっしゃ、韓国人だなと朝鮮語に切り替えるがこれもダメ。
突如彼女が口を開いた。English...。
意外な展開にとまどいつつも英語に切り替えるが、もはやしどろもどろ。英語OKボランティアにタッチ。
その後、英語OKボランティアと話したのだが、来客用のロッカーの説明英文が間違っているそうだ。
ボクが付けている中国語OKバッヂの文章も文法的には間違っている。最初に会った中国人青年にこのバッヂを見せて、文法はどうかときいてみたが、だいたい合ってるような返答ではあった。しかしこの青年は台湾から来た人なので、バッヂの簡体字がちゃんとわかったのかどうかは定かではない。
そうしていると、なんとなくキョロキョロしている欧米系外国人がいたので、英語版リーフレットを手渡そうとしたらフランス人だった。なかなかうまくいかないもんである。
と、こう書くと外国語案内が主要業務のようだが、その実態は、トイレの場所やら、館内で迷ってしまい出口をたずねる人への対応がほとんどなのでした。
なんか難しい質問をされたら困るから、難しい質問をしそうな人が近づいてきたら目を合わせないようにすることにした。
万一に備えて、博物館の案内説明pdfをiPhoneに入れてはいるが、動作がいまいちなので、どうも実戦には役立ちそうにない。
相手もiPhoneユーザなら、またちがった意味で話が盛り上がるかも知れないが。
そんなわけで、中国語OKバッヂをつけて現場に立った。
とはいってもほとんどは日本人の来客だから大丈夫だろうと、気軽に近づいて来た青年に声をかけたら、こっちを見てキョトンとしている。
こりゃもしかして中国人かと思い、慌てて脳内を中国語に切り替えて確認したら、やはりそうだった。
最近は中国語を使う機会がないので私の中国語はひどいのだが、あなたは私の中国語を聞いてちゃんとわかりますか?などという言い訳を言いつつ時間を稼ぎ、なんとか会話をすすめて、ワークショップを楽しんでもらった。
そのあとやってきた女性はどうみても日本人顔。
自信をもって日本語で話しかけるが反応が悪い。おお、中国人2連発かとはりきるが中国語は通じない。よっしゃ、韓国人だなと朝鮮語に切り替えるがこれもダメ。
突如彼女が口を開いた。English...。
意外な展開にとまどいつつも英語に切り替えるが、もはやしどろもどろ。英語OKボランティアにタッチ。
その後、英語OKボランティアと話したのだが、来客用のロッカーの説明英文が間違っているそうだ。
ボクが付けている中国語OKバッヂの文章も文法的には間違っている。最初に会った中国人青年にこのバッヂを見せて、文法はどうかときいてみたが、だいたい合ってるような返答ではあった。しかしこの青年は台湾から来た人なので、バッヂの簡体字がちゃんとわかったのかどうかは定かではない。
そうしていると、なんとなくキョロキョロしている欧米系外国人がいたので、英語版リーフレットを手渡そうとしたらフランス人だった。なかなかうまくいかないもんである。
と、こう書くと外国語案内が主要業務のようだが、その実態は、トイレの場所やら、館内で迷ってしまい出口をたずねる人への対応がほとんどなのでした。
2010年5月4日火曜日
私の年は50歳です
2010年5月3日月曜日
昔はハガキ、今はTwitter
その昔、ニッポン放送「オールナイトニッポン」で、日本のDJの草分けのひとり糸居五郎さんにハガキを読まれた。
そして40年。
きのう、インターエフエム「LAZY SUNDAY」で ジョージ・カックルさんにメッセージを読まれた。
今回は、ハガキではなくTwitter。
時代の流れを感じるね。
そして40年。
きのう、インターエフエム「LAZY SUNDAY」で ジョージ・カックルさんにメッセージを読まれた。
今回は、ハガキではなくTwitter。
時代の流れを感じるね。
2010年5月2日日曜日
私は日本から来ました
2010年5月1日土曜日
7年目の変身
1996年にホームページ公開をはじめた。
その時は、プロバイダのサービスを利用したのだが、アップロードするにもテルネットでなんてこともあり、何がなんだかわからなかった。
そんなこんなで、なんとか自分のMacで確認できたときは、そりゃうれしかったもんだ。
その時のサイト名は「まるたつPOWER」。
当時発売されたMacのCPUはPower PC が最新で、まだ68kだったボクは憧憬を込めてこんな名称にしたんだった。
その後、スマートスケッチから進化したFlashに夢中になり、いろんなFlashコンテンツを作ってアップロードして喜んでいた。
これを機にFlashのFをとって、サイト名も「まるたつ(F)POWER」と改題した。
そして7年。
2003年、独自ドメインを取得した。
記念にサイト名を「おだだだJAPAN」にして言祝いでみた。
そのうち、だんだんブログやTwitterのほうが更新頻度があがり、なんとなくサイト更新も滞りがちになってしまった。
さらに7年。
2010年、ドメイン移管を考え始めた。
最初はサーバーとドメイン管理を移すだけのつもりだったが、いっそのこと新しいドメインで再起動しようかとも考えはじめた。
で、このGWを利用して、サイトのファイルを検証してみることにした。
ところが、意味不明なファイルやら、リンク不明やら、大混乱状態になっている。
さて、今後の展開はどうなることやら...。
その時は、プロバイダのサービスを利用したのだが、アップロードするにもテルネットでなんてこともあり、何がなんだかわからなかった。
そんなこんなで、なんとか自分のMacで確認できたときは、そりゃうれしかったもんだ。
その時のサイト名は「まるたつPOWER」。
当時発売されたMacのCPUはPower PC が最新で、まだ68kだったボクは憧憬を込めてこんな名称にしたんだった。
その後、スマートスケッチから進化したFlashに夢中になり、いろんなFlashコンテンツを作ってアップロードして喜んでいた。
これを機にFlashのFをとって、サイト名も「まるたつ(F)POWER」と改題した。
そして7年。
2003年、独自ドメインを取得した。
記念にサイト名を「おだだだJAPAN」にして言祝いでみた。
そのうち、だんだんブログやTwitterのほうが更新頻度があがり、なんとなくサイト更新も滞りがちになってしまった。
さらに7年。
2010年、ドメイン移管を考え始めた。
最初はサーバーとドメイン管理を移すだけのつもりだったが、いっそのこと新しいドメインで再起動しようかとも考えはじめた。
で、このGWを利用して、サイトのファイルを検証してみることにした。
ところが、意味不明なファイルやら、リンク不明やら、大混乱状態になっている。
さて、今後の展開はどうなることやら...。
2010年4月28日水曜日
Saya orang Jepang.
2010年4月27日火曜日
久々の簡体字入力
MacOSXは、システム環境設定/言語環境/入力メニューで、多様な言語の入力が選択できる。
とはいっても日英以外では、ハングルと中文簡体字しか設定してないけど。
久しぶりに簡体字で入力しようと思って、メニューを中国語のローマ字入力(ITABC)に切り替えて変換しようとしたら、これが全然できない。
ピンイン(アルファベットの発音記号みたいなもの)の綴りがまちがってるのかと辞書で確認しても問題はない。
そのうちはたと気づいた。
変換は、enterキーではなくて、spaceキーなのだということに。
ちなみに、現在開催中の北京モーターショーは簡体字だと「北京国际汽车展览会」です。
なんだか、たいへんな賑わいのようです。
とはいっても日英以外では、ハングルと中文簡体字しか設定してないけど。
久しぶりに簡体字で入力しようと思って、メニューを中国語のローマ字入力(ITABC)に切り替えて変換しようとしたら、これが全然できない。
ピンイン(アルファベットの発音記号みたいなもの)の綴りがまちがってるのかと辞書で確認しても問題はない。
そのうちはたと気づいた。
変換は、enterキーではなくて、spaceキーなのだということに。
ちなみに、現在開催中の北京モーターショーは簡体字だと「北京国际汽车展览会」です。
なんだか、たいへんな賑わいのようです。
2010年4月25日日曜日
博ボラ日誌その8

ついに博物館ボランティア研修も、きょうが最終日。
無事に研修終了予定の時刻になり、あとは登録証と顔写真つきの正式入館証を受け取るだけなので、みんな帰り支度を始めた頃、それは始まった。
予定にはなかったのに、なんと館長がやってきて、ボランティア候補生を一人ずつ壇上に上げて名前を読み上げ登録証を手渡しするというのだ。
約60人のボランティアが対象だから、一人30秒としても30分はかかる。
もうすっかりお帰りモードになっていたボランティア候補生は、お互い顔を見合わせる。
おいおい、卒業式じゃないんだぞ、なんて声もきこえてくる。
登録証授与がアイウエオ順らしいのに気付き、自分の番が近くなったらまだ名前を呼ばれもしないのに席を立ち、壇上への階段付近に移動する気の短い人もいる。すみません、ボクです。
この登録証というのがA4のコピー用紙のようなものにプリントされていて、手に持ったらヘニャッとお辞儀してしまい、その迫力のなさになんだか笑える。
結局、推定通り30分の時間延長で登録証授与式(?)は終わり、やっと解散となった。
みなさん小走りで会場をあとにするのだった。
この突然の授与式、うやうやしく館長に深々とお辞儀をして、登録証を「はは〜っ」といただく儀式みたいなものをしたかったのか、真意はよくわからないが、研修で疲れたボランティア候補生の疲れが一段と増したのは、間違いない。
博物館は、元々官立でスタートしたもので、今でこそ独立行政法人になっているが、こんなところにも、まだまだお役所体質が抜けていない気がする。
まぁ、そんな「上から目線充満」の博物館を、もっと身近に感じて気軽に楽しめるようにするための潤滑油になるのが、博物館ボランティアの役目なのかもしれない。
というわけで、来月から博物館ボランティア生活が本格的にスタートする。
それにしても iPhone は、館内だとかなりの場所で圏外になる。
孫さんに、なんとかしてほしいのココロだ〜っ!
登録:
コメント (Atom)




