2014年3月31日月曜日

Pixelmator+ColorSync=?

画像ソフトのPixelmator(AppStoreで3000円)をMacBookProRetinaにインストールしてみた。
Mac専用というのがいいね!
もちろんMavericksにも対応している。

ざっとみたところペイントソフトのようだが、ドローソフトの要素もあるようで、例えると往年のDenebaのグラフィックソフトartWORKSみたいである…と言ったらよけいにわかりにくいか。
このPixelmatorで作ったRGB画像をColorSyncで開いてCMYK書き出したら、ちゃんとした印刷物の原稿になるんでしょうかね。
それと、どうにも腑に落ちないのが、色調補正メニューが見当たらないこと。command+kでトーンカーブが出てきたりするので、そのうちメニューのどこかで発見するとは思うが。

果たしてPixelmatorをバリバリ使いこなせる日が来るのか?

2014年3月24日月曜日

二冊の『絵本ジョンレノンセンス』


最近お気に入りの古本屋さんが「古書コンコ堂」。
図書館にあるような本、なにかの賞をとった本、ベストセラーになった本、電子書籍になった本等はあんまりない。
こじんまりとした店内は、自分の部屋の本棚を見ているようで落ち着ける。
そんなコンコ堂で面白そうな本を見つけて買って帰ったら、自分の部屋の本棚に同じ本があったなんてこともある。
たとえばこの『絵本ジョンレノンセンス』。
コンコ堂で見つけた時も、これ読んだ気がするな〜と思ったが、パラパラ頁をめくったらどーも読んだ記憶がないので買って帰った。
一日に数頁ずつちょっとずつ読んでいたが、内容に関して既読感が全然ないのでやっぱり初見なんだと思っていたのに、さっきふと目の前の本棚に目をやったら、この本の背表紙が視界に入って来た。
奥付を見たら、元々持っていたのは1980年の7刷(定価980円、まだバーコードがない)で、今回入手したのは1998年の28刷(定価1400円)だった。
二度あることは三度あるというから、この本をまたもう一度どこかで買うような気がしてきた。
さて、次はいつ、どこでなのか?

●結論
やっぱりMacBookProはUSキーボードにかぎるね。

2014年3月16日日曜日

脱原発信金のススメ



脱原発宣言の城南信用金庫は中高年にやさしい金融機関です。
ロビーで待つ間に、オネーサンがお茶と飴を持ってきてくれます。
もちろんカウンターには老眼鏡(笑)も置いてあります。
残念なのは、キャッシュカード発行が有料であること。
でもキャッシュカードを持たなければカードがらみのトラブルにも巻き込まれない訳で、これはこれでセキュリティ上も良い事かもしれません。
そんなわけで出金時には伝票に記入捺印して窓口に持っていきます。
そしてオネーサンに名前を呼ばれるまでしばしソファーに座って、前述のお茶と飴をいただきます。
店内も混んでいないので、他の金融機関のように、なんだか殺気立ってカードを握りしめた人々の列に並んでイライラすることもなく、精神衛生上もよろしいかと。

2014年3月7日金曜日

マンガ全席第28話【原稿のヨゴレ】


マンガの原稿はきれいなものから、そうでないものまでいろいろある。
修正部分が全然ないきれいな原稿から、二重三重にポスターカラーで修正して表面がゴワゴワになったものや、切ったり貼ったりの部分がいっぱいで原稿の裏をひっくり返したらセロテープがベタベタなんてのもある。
小津クンの原稿は、その中間あたりのヨゴレ具合で、可もなく不可もなしといったところか。まァ、原稿の内容も似たり寄ったりとも言えるが。
どちらにしても、紙原稿時代ならではのエピソードである。
現在のようなデータ原稿の時代から見ると、起こりえないエピソードとも言える。
データ原稿といっても、今のようにネット経由ではなく、当初はフロッピーディスク(FD)が中心だったので、本格的なマンガ原稿をこれで入稿するのには無理があった。
そこで次にやって来たのが光磁気ディスクとも呼ばれるMOだった。このMOならFDに比べて容量が大きいので、マンガ原稿の受け渡しも可能だった。しかし、FDに比べてMOは高価だったので、ディスクの表面に「要返却」なんて文字が書かれ、1枚のMOが何度も行き来していたのは歴史的事実である。
手から手へと渡るうちに、タバコのヤニやらコーヒーのシズクやらがMOの表面についたりして、だんだん汚れてくるのが常だった。
データ原稿なのにヨゴレがつくという、ある意味において過渡的な媒体がMOだったのかもしれない…などと、別に感慨に耽るような内容のマンガではないのだった。
(いつになるかわからないけど、次回に続く)

2014年3月6日木曜日

マンガ全席第27話【研鑽の日々】


マンガ家としての輝かしい未来を夢見て、研鑽の日々をおくる小津クンの日々は忙しい。
映画『イージーライダー』を見たり、小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読んだり、時間はいくらあっても足りない毎日である。
しかしながら、映画を見たり小説を読んだりすることは、将来のマンガ家生活にはそれほど重要ではない。いちばん大事なのはペンを持つ事だ。
そんな小津クンが、ペンを手にして今いちばん熱心に取り組んでいるのは、いつの日か著書のサイン会でおこなう予定のサインの練習。
あんまり崩しすぎると読めないし、きちんと書きすぎると単なる署名になってしまうしで、サインもなかなか難しい。
そんなことする暇があるのならマンガの原稿を描けよ!と叫ぶハエのセリフは100%正しいのだった。
それにしても最近ハエの姿をあんまり見なくなったね。
今回のオチとは関係ないけど、映画版『赤頭巾ちゃん気をつけて』に出演した森和代チャンも可愛かったね。
(明日に続く)

2014年3月5日水曜日

マンガ全席第26話【原作是非論争】


マンガは絵が大事なのか、話が大事なのか。
そもそもマンガは絵と話でできている、絵と話が合体したものなら絵物語とどうちがうんだ、とか考え始めたら夜も眠れなくなる。
マンガ同人誌「またずれ草」の面々の間でも、そんなある意味不毛な論争が続いていた。
絵はヘタだけど話が面白いタイプ、絵はうまいが話がダメなタイプ、絵もそこそこ話もそこそこなタイプ、いろんなタイプの同人達の目下の論争のテーマは、マンガの原作は是か非かというものだった。
まぁ、読者としてはマンガに原作があろうとなかろうと、面白ければそれでいいのである。
で、マンガの描き手として一番ダメなのは、絵もダメ、話もダメ、というタイプというのは自明の理なのだった。
(明日に続く)

2014年3月4日火曜日

マンガ全席第25話【名刺交換】


いろんな人が集まるパーティだから、タダメシを食らうだけでなく地道に営業活動もおこなう小津クンだった。
まずは人脈作りの第一歩として名刺配りから始まる。
プリンタで自前の名刺を作るなんて時代はまだまだ未来の事で、この頃はお金を工面して印刷屋さんに頼むしかなかった。
お金のない小津クンの名刺は、なんとゴム版による手作り名刺だった。
今でこそ、そんな名刺を渡したら「わ〜手作り感100%でかわい〜」とか言われそうだが、当時はただ金欠のなせる技だった。
そんなにも苦労して作った名刺が、飲みものが入ったグラスの下でコースターがわりに使われているのを見て、静かに涙ぐむ小津クンだった。
そもそも名刺を配って人脈作りなんて発想が、夢多きマンガ青年にはそぐわないのにね。
(明日に続く)

2014年3月3日月曜日

マンガ全席第24話【マンガ賞パーティ】


出版社が制定するマンガ賞は授賞式のあとに祝賀パーティがある。
マンガ同人誌「またずれ草」同人にも招待状は届く。
ただし壇上で受賞の挨拶をしたりするようなことはない。その他大勢のにぎやかしみたいなものだ。
出席する小津クンたちの目的はただひとつ、パーティの料理でその日の食費の一食分を浮かす事だけ。
中央の大テーブルに並べられた料理の前に陣取り、下品にムシャムシャやって周囲の顰蹙をかうのだった。
(明日に続く)

2014年3月2日日曜日

マンガ全席第23話【真夏の編集部】

今と違って、昔の出版社はあけっぴろげだった。
社内に入る為のチェックなんか全然なくて、勝手に編集部まで入っていけたものだ。
ただ、いきなり行っても誰もいないなんてことがよくあるので、原稿持ち込みにもTPOが大事なのだった。
このマンガの編集部の場合は、夏の晴れた日の平日が狙い目。
そんな日は、男性編集部員のほとんどは在席している。ただし机の前でなく、窓際に集中している。
窓際と言っても閑職に追いやられたわけではない。隣接する女子校の屋上プールがそこからよく見えるからなのだ。
そんな日にやってきた小津クンも編集者達に混じって窓際に立ち眼下のプールを眺めるのだった。真夏の昼の夢のようなひとときだった。
(明日に続く)


2014年3月1日土曜日

マンガ全席第22話【たびかさなる打ち合わせ】


同人誌はともかく、商業誌のマンガとなると、作者が勝手に描けばいいってもんでもない。
担当編集者との綿密な打ち合わせも必要になる。
作画前のネーム段階で、編集側がツベコベ、いや、アレコレ意見を出して来て修正していく作業である。漫画家側からすると、内容が面白ければ打ち合わせ1回でゴーサインを出してほしいものだが、なんだかんだあって何回も手を入れるのが普通らしい。だんだん経験を積んでくると、このへんの呼吸がわかってきて、最初のネームではわざと不完全な構成にして、つっこみどころを用意したりすることもある。
で、結局のところゴーサインが出たのは、一番最初のバージョンのネームだったりすることもある。なぜ、そんなことがあるかというと、何回も打ち合わせをして、よけいな口出し、いや、的確な助言を出してきたと自負する編集者自身が、最初のバージョンがどうだったかを覚えていないことがよくあるからだ。
というわけで、漫画家と編集者の打ち合わせのほとんどは時間の浪費である。しかし、そんな中から別の発想が出てくることもあるから、あながち無駄とも言えないのである。じゃあ、打ち合わせはしたほうがいいのか、しないほうがいいのか、どっちなんだと言われそうだが、世の中のほとんどの問題と同じで、そんなのどっちでもいいや!というのが結論である。
(明日に続く)