2010年12月29日水曜日
久しぶりの灯油ストーブ
初めて下車する、寒風吹きすさぶC県HF駅。
目指すは、某忘年会会場に指定されたカラオケスナック。
駅から歩く事数分、暗闇の中に光る看板をみつけ店内に入る。
そこで目にしたのがこれ。
久しぶりに灯油ストーブを目にした。
すでに到着していたメンバーが、まるで焚き火を囲むようにその周囲にたむろしている。
冷えた体を温めるべく、その輪の中に入る。
時々背中側をあたためるために、回れ右をしたりししてボソボソ話す。
妙に快適すぎるエアコンよりも、直接炎を目にする灯油ストーブは、なかなかいいもんだ。
そうこうしているうちに、最後のメンバーもやってきて、あとは特に記す事もないカラオケ大会でほとんど話はできない。
歌の方はH.A.Oのリードボーカルにまかせて、打ち合わせのようなことをチョコチョコして、宴もたけなわの中、席を立つ。
駅までの道すがら、H.A.OのリードボーカルH氏と税金問題についてのよもやま話しつつ、寒風の中再びHF駅に着く。
この駅は、同じホームに複数の線が入っていて、本来乗るはずの路線ではない電車に乗ってしまった。
しかし方角的には合ってるのでそのまま乗り続け、往路とはちがうルートで帰宅。
なんだか遠回りしたような気もするが、まぁ無事に帰れたんだからいいか。
2010年12月24日金曜日
ひとコマ漫画ファンに贈るクリスマスプレゼント『ユキウシ』
というわけで、Twitterで予告したように、ひとコマ漫画ファンに贈るクリスマスプレゼント『ユキウシ』の、はじまりはじまり〜。
1日1コマずつ、追加更新して行く予定です。
1年後には365コマになっている計算だが、はたして...。
2010年12月7日火曜日
ウクレリアンの極み・おまけ篇ePub版
電子書籍元年と言われて10年くらいたってますが、今年はホントにそんな感じになってきました。
そこで、『ウクレリアンの極み・おまけ篇』ePub版を作ってみました。
iPadではキレイに見えますが、iPhoneだと余白が広すぎるせいかちょっとアレです。
近々、本編も公開開始予定なので、その時までには、もう少しちゃんとしたものにしますので、乞うご期待!
2010年12月5日日曜日
2010年12月2日木曜日
博ボラ日誌その28 ボランティアの壁
おなじ博物館に行くのでも、博物館ボランティア活動で行くのと、お客として行くのでは何かが違う。
一番の違いは壁との関係。
お客で行くと、壁の作品に向かって視線をそそぐ。
ボランティアで行くと、壁を背にして来客者に視線をそそぐ位置に立つことになる。
同じ立ち位置でも見える世界が変わるのが面白い。
今日は、韓国人初老男性の接客をした。
ただハングルのリーフレットがあるよと、手渡しただけなのだが、オマエちゃんと喋れるではないかとお世辞を言われるのがが定番コース。
これに対して、まだダメですよと謙遜するのも、いつもの流れ。
で、去り行く男性に「アンニョヒカシプシオ」と敬語表現の別れの言葉をかけたら、こちらをふりかえりもせずに背中で「ウ〜」との返事。
まるで韓国時代劇みたいなセリフ回しがきまってました。
こんなシーンは、壁を背にする博物館ボランティアならではのことで、なかなか楽しい事ではある。
2010年11月30日火曜日
2010年11月25日木曜日
博ボラ日誌その27 PCアンケートは指かペンで
「東大寺大仏—天平の至宝—」会場内には、PCアンケートコーナーがある。
第一会場から第二会場に行く途中の通路横にモニタが3台置いてあるのだが、使ってる人は少ない。
博物館ボランティア活動の一環として、サクラになってアンケートを試してみた。
しかし、このタッチパネルの感度が悪くて、なかなか先に進めなくてイライラする。
ふとモニタの台座付近に、タッチペンを発見して、試してみたら指タッチよりは反応があるが、まったくキビキビしていない。
例えれば、iPhone 3G にiOS4を入れた感じ。
などと言ってもわかる人にしかわからない、わかりにくい例えになってしまった。
2010年11月20日土曜日
『まるたつ年賀素材2011』のお知らせ
まだ年賀状も購入してないのに、2011年用の年賀素材集『まるたつ年賀素材2011』を公開しました。
今年は、これまでとちがってインドネシア語版が加わっています。
インドネシアに年賀状があるのか、干支があるのか知りませんが、まぁ市販の年賀状素材集には、たぶんこのようなものはないでしょう。
正方形サイズの10点セットで、縦にも横にも使えて便利です。
単なるJPEGファイルなので、MacでもWinでもOKです。
2010年11月11日木曜日
博ボラ日誌その26 アフロ如来じゃなくて、アミダ如来さん
「東大寺大仏—天平の至宝—」の順路で最後に対面するのが、このアフロ如来さん。
なんせ、あまりに長い間瞑想したもんだから、こんなヘアスタイルになってしまったってんだから、もう吃驚仰天!
どのくらい長い間かというと、五劫のすり切れパイポパイポ…じゃあ寿限無になってしまいます。
2010年11月10日水曜日
博ボラ日誌その25 小指立ってます
「東大寺大仏—天平の至宝—」には、様々な像が展示されているが、とても鮮やかな色が残っているものがある。
鎌倉時代の色とは思えないくらい鮮やかだ。ざっと数えて800年は経っているのに。
しかし色より印象的なのが右手の小指。
ピン!と立ってます。
さて、この像は何でしょう?会場を見回してさがしてみてください。
ヒント、彼の出身地はUSAです。
ただし九州のね。
2010年11月9日火曜日
博ボラ日誌その24 八角燈籠は奈良からやってきた
「東大寺大仏—天平の至宝—」に大仏さんは来なかったが、そのかわりなのか、八角燈籠さんがやってきた。
日頃は外に置いてあるものを屋内で見るのも珍しい体験ではある。
高さは4メートル以上だから、たしかに大きいのだが、こういうシチュエーションだと、どう大きいのかよくわからないのも事実。
来場の皆さん、八角燈籠のまわりをグルグルまわってらっしゃいますが、東大寺にある時は、そんなにグルグルまわる人は少ないんじゃないでしょうか。でもせっかくですから、ここはひとつグルグルまわってみましょう。
2010年11月8日月曜日
博ボラ日誌その23 試みの大仏を、じっくり見るのココロ
「東大寺大仏—天平の至宝—」会場の一角にさりげなく展示してあるので、うっかり見過ごしてしまいそうになるのが、この「試みの大仏」。
奈良の大仏さんが来ていない大仏展だけど、この「試みの大仏」さんは大きさでは負けるものの、存在感では負けてはいない。
なんとなく猫背のポーズは、見るものを和やかな雰囲気にしてくれる。
左手の指先も緊張感がなくて、日本相撲協会理事長の魁傑さんの現役時代の指先のようで微笑ましい。
ぜひ、見過ごさないで、じっくり見てほしいのココロ。
2010年11月7日日曜日
博ボラ日誌その22 午後の紅茶+つばらつばら
「東大寺大仏—天平の至宝—」が開催されているのは、東京国立博物館本館ではなくて平成館。
この館の正面入り口から入って左側の奥にはラウンジがあり、ゆったりしたソファでくつろぐことができる。
このラウンジには、特別展会期中はお店が出る。
先週、博物館ボランティア活動の日に行ってみたら、和菓子屋さんが出店していた。
ここでお土産に箱入りを買うのもいいけど、バラ売りもあって1個だけ買うこともできる。
今回のお気に入りは「つばらつばら」というお菓子。たしか140円くらい。
飲み物は、チラシが置いてあるつい立ての裏側にある自販機で買える。
オススメは「午後の紅茶」。
ここは夏でも熱い缶があるので、ホット飲料好きにはありがたい自販機コーナーだ。
展示を見た後の休憩タイムにも、見る前のひと休みにも使えるこのラウンジを、是非経験してみてほしい。
ところで、この「つばらつばら」の意味は、しみじみともの思いにふけるということらしい。
ラウンジ内にある大仏さんの手のレプリカの前で記念写真に興じる人々を見ながら、つばらつばらといきますか。
2010年11月6日土曜日
博ボラ日誌その21 ここだけのフィギュア
東京国立博物館で開催中の「東大寺大仏—天平の至宝—」では、ここだけしか買えないお土産もある。
地下のミュージアムショップではなくて、特別展のある平成館2階のおみやげコーナーで売っている海洋堂の制作のフィギュアがこれだ。
数に限りがあるらしいが、11月4日に見かけたときはまだ在庫があったので、欲しい人はお早めにどうぞ。
たしか2種類のフィギュアがあったような気がするが、このイラストはあくまでもそのイメージなので、実物は会場で確かめてみてくほしい。
2010年11月5日金曜日
博ボラ日誌その20 縹縷と書いて「はなだのる」
東京国立博物館で開催中の「東大寺大仏—天平の至宝—」で、今週から、正倉院宝物の公開がはじまった。
中でも一番の注目は、752年に大仏さんの開眼供養会で使用した筆と紐。
この紐は縹縷(はなだのる)というそうで、今も青い色が鮮やか。筆も、今でも使えそうなくらい保存状態が良い。
紐の長さは200メートルくらいあるそうだが、まとめてしばった状態で展示してある。
この筆と縹縷は、ガラスケースの中に、他の宝物と並べて展示してあるのだが、観客の皆さん、なんとなく流れにおされてしまい、そのままスルーの人も多い。
スルーするのは、いかにももったいない。
展示方法を変えて、筆と縹縷だけ、別のケースに展示したらもっと注目を浴びたんじゃないだろうか。
どちらにしても、この紐と筆の先に開眼時の大仏さんの姿がイメージできて、気分は一気に1250年もさかのぼる。
この既視感は何かと思ったら、『まんが日本の歴史人物事典』で、自分でもこの場面を描いていた。
既視感じゃなくて、既描感だった。
この時は資料が何もなく想像で描いたのだが、ちょっと筆が大きすぎたが、まあ雰囲気は出てるからよしとしよう。
2010年11月4日木曜日
博ボラ日誌その19 コレは鉛筆削りデス
博物館ボランティア活動をしていると、思わぬ質問にでくわすことがある。
本日の衝撃度ナンバーワンの質問は
「コレは何ですか?」
30代の日本人女性が指さす先にあるのは、上のイラストのようなごくふつうの鉛筆削り。
館内の一角にスタンプを押してオリジナルポストカードを作るコーナーがある。
その作業机の上に、スタンプや鉛筆や鉛筆削りが置いてあるのだが、その鉛筆削りを指差して「コレは何ですか?」と聞かれたら、「コレは鉛筆削りです」と答えるしかないではないか。
もしかして、オジさんをからかってるのかと思ったらそうではなかった。
その女性は電動鉛筆削りしか見た事がないそうで、このイラストのような手動式の鉛筆削りは初めて見たという。
「じゃあどうぞコレで鉛筆を削ってください」
と、彼女のほうに差し出したら、
「どうやって使うんですか?」
という答えがかえってきた。
で、鉛筆を削る実演をお見せしたら、妙に感心されてしまい、こちらも面食らってしまった。
つい調子に乗って、
「昔の洗濯機も、この鉛筆削りと同じようにハンドルをグルグル回していたんですよ」
と話したら、怪訝な表情をされてしまった。
更に悪のりして、
「昔の電気製品で、冷蔵庫は電気じゃなくて氷で冷やしてたんだよ」
なんて言い出してしまい、さらにキョトンとした顔をされてしまった。
戦争体験のようなたいへんな出来事でさえ、なかなか次の世代に伝わらないのだから、このような些細な事が世代を越えて伝わらないのもしかたないかと、妙に納得してしまう。
そんなわけで、久しぶりに鉛筆をガリガリ削る感覚を手に残して、博物館ボランティア活動の一日は終わるのだった。
2010年11月2日火曜日
博ボラ日誌その18 大仏さんの手
2010年10月24日日曜日
森下のアーゲード修復看板
2010年10月18日月曜日
『まんが日本の歴史人物事典』7刷!
というわけで、コシャマインさんも大活躍の『まんが日本の歴史人物事典』7刷が出ました。
登場人物が全て故人になってしまったのが、これまでの刷とちがう点でしょう。
目標の100刷まで、あと93刷となりました。
2010年10月9日土曜日
「新つれづれ草」マンガ原画展チラシ
40年ぶりに復刊した、シニアのシニアによるシニアのためのマンガ同人誌「新つれづれ草」のマンガ原画展が、千葉県八千代市のおそば屋さん「さわ田茶家」さんで、11月9日(火)〜10日(水)午前11時より午後4時に開催されます。
会場が蕎麦屋さんというのがシニアらしいね。
2010年10月3日日曜日
博ボラ日誌その17 実践インドネシア語会話
今日は「留学生の日」で、留学生は入館無料なので、博物館はいろんな所から日本にやってきた留学生でいっぱいだった。
私の担当日は今日ではないが、外国語が話せる(習熟度問わず、自己申告制)ボランティアとして、一日活動をしてきた。
でも、留学生の皆さんは日本語を使いたがってるので、私は中国語も朝鮮語も使う機会がなかった。
そんな中、インドネシア人らしき青年がいたので
「orang Indonesia?」(インドネシア人?)と声をかけたら
「え〜っ、どうして」と日本語で返答する彼
「Saya belajar bahasa Indonesia.」(私はインドネシア語を勉強しています)と私
「うれし〜です」と再び日本語で返答する彼
「Selamat sore.」(夕方の挨拶の、こんにちは)と私
「日本語でその挨拶はありません」と日本語で返答する彼
「・・・」もうインドネシア語が出ない私
「インドネシア語は日本語より簡単です」と彼
「Selamat tidur.」(おやすみなさい)と私
その後は、会話は続かないのだった。
私の担当日は今日ではないが、外国語が話せる(習熟度問わず、自己申告制)ボランティアとして、一日活動をしてきた。
でも、留学生の皆さんは日本語を使いたがってるので、私は中国語も朝鮮語も使う機会がなかった。
そんな中、インドネシア人らしき青年がいたので
「orang Indonesia?」(インドネシア人?)と声をかけたら
「え〜っ、どうして」と日本語で返答する彼
「Saya belajar bahasa Indonesia.」(私はインドネシア語を勉強しています)と私
「うれし〜です」と再び日本語で返答する彼
「Selamat sore.」(夕方の挨拶の、こんにちは)と私
「日本語でその挨拶はありません」と日本語で返答する彼
「・・・」もうインドネシア語が出ない私
「インドネシア語は日本語より簡単です」と彼
「Selamat tidur.」(おやすみなさい)と私
その後は、会話は続かないのだった。
2010年10月2日土曜日
2010年9月30日木曜日
雨の明治神宮で、写真は幕の内
2010年9月28日火曜日
2010年9月18日土曜日
6年ぶり「大胆な対談」復活!
2010年9月14日火曜日
約400ページかきおろし単行本は100%データ原稿予定
いったいどーなっておるのかとのリクエストがあったので、約400ページかきおろし単行本の現状について書きます。
発売予定:再来年
締め切り:来年
現状:ネーム60ページくらい
原稿:100%デジタルデータ予定
とまぁこんな感じです。
注目は、完全データ原稿になること。
これだけ大量のページを全てデータ渡しにするのは初めてなので、ちょっと緊張している。
作業の流れはこんな感じですすめる。
(1)資料のデキストデータを受け取る。拡張子.docファイルだが、長年Macユーザをやっているとなんでも対処できるもので、とりあえずはテキストエディットで中身を確認。
(2)ネームをPDFファイルにして送り編集者と打ち合わせ。この段階でのやりとりはお互いにPDFでおこなう。
(3)いよいよ作画。ソフトは何を使ってもいいが、最終的にはpsdかepsで保存したファイルを渡す。
(4)絵のみの(3)のファイルと文字データtxtをサーバに上げて、編集者にダウンロードしてもらう。大容量ファイルだとメール添付の場合は時間がかかるし、サーバに置いておけばバックアップにもなる。
(5)この後は、出版社と印刷所の守備範囲なので、基本的にはタッチしない。たぶんAdobe InDesignでの作業なんじゃないだろうか。ということはAdobe InDesignで開けるファイルならなんでもいいともいえるわけだ。
で、最終的には印刷された本が書店に並ぶわけだが、電子書籍版販売なんてことも視野には入れている。
てなことをゴタゴタ言う前に、まずは肝心の原稿を描かないと何も始まらないのは、アナログでもデジタルでも変わらない真実。
2010年9月9日木曜日
博ボラ日誌その16 ほろ苦インドネシア語デビュー
今日の博物館は、外国人の見学者が多かった。
米語話者の「rest room?」攻撃に対しては、「basement」(*1)で凌いだし、日本語のわからないアジア系に対しては、中国語か韓国語で切り返してその場を凌いだ。
しかし、そんな中で、今日は初体験をした。
マレーシアからきた見学者がいたので、これはインドネシア語を実際に使ってみるチャンスだとばかりに、積極的に話しかけてみたのだ。
と言うのも、インドネシア語はマレーシアでもかなり通じるときいていたからだ。
さっそく、「私はインドネシア語を勉強しています」(*2)と言おうとしたのだが、勉強を意味するbelajarがとっさに出てこない。
思わず流れで言ってしまったのは「私はインドネシア語です」(*3)
意味不明である。
ココロの準備をまったくしていなかったのが敗因だろう。
5分後には思い出したのだが、今更そんなことをわざわざ言うのも変なので、何も言わなかった。
ほろ苦いインドネシア語デビューだった。
(*1)トイレは地階にある
(*2)Saya belajar bahasa Indonesia.
(*3)Saya bahasa Indonesia.
米語話者の「rest room?」攻撃に対しては、「basement」(*1)で凌いだし、日本語のわからないアジア系に対しては、中国語か韓国語で切り返してその場を凌いだ。
しかし、そんな中で、今日は初体験をした。
マレーシアからきた見学者がいたので、これはインドネシア語を実際に使ってみるチャンスだとばかりに、積極的に話しかけてみたのだ。
と言うのも、インドネシア語はマレーシアでもかなり通じるときいていたからだ。
さっそく、「私はインドネシア語を勉強しています」(*2)と言おうとしたのだが、勉強を意味するbelajarがとっさに出てこない。
思わず流れで言ってしまったのは「私はインドネシア語です」(*3)
意味不明である。
ココロの準備をまったくしていなかったのが敗因だろう。
5分後には思い出したのだが、今更そんなことをわざわざ言うのも変なので、何も言わなかった。
ほろ苦いインドネシア語デビューだった。
(*1)トイレは地階にある
(*2)Saya belajar bahasa Indonesia.
(*3)Saya bahasa Indonesia.
2010年9月7日火曜日
スクープ!優秀な成績表
2010年9月6日月曜日
トマトチーズサンド
2010年8月29日日曜日
森下のアーゲード
2010年8月16日月曜日
コミケの疲れは翌日に出る
2010年8月12日木曜日
博ボラ日誌その15 足がつる真夏の昼下がり
2010年8月5日木曜日
博ボラ日誌その14 ターンが大事
ひさしぶりに博物館ボランティア。
きょうはG中学の3年生が就業体験学習でやってきて、一緒に活動をすることになった。
ボクと一緒に現場に立ったのはS君。
学校では第二外国語にスペイン語を勉強しているというので、スペイン語圏のお客様の案内はまかせることにした。
そこに都合のいい(?)ことに欧米系の男性がやってきた。
しかし英語圏の人らしかったが、せっかくだからS君に応対をまかせてみた。
我々は、その時は1回の通路にいたのだが、どうやらそのお客様は2階に行きたいようで、S君もがんばって英語で受け答えをしている。
この場所からは、2階への階段は見えないので言葉で説明するしかない。
順調に説明していたのに、最後に何度も聞き返されて困っている様子だ。
どうも、左に曲がってという、 turn left が通じていないようで、横から turn left とボクが手助けして、そのお客様もわかったようで、2階を目指して去って行った。
日本式に「ターン」と言っても絶対通じないよと、以前からヘンリーおじさんに言われていたが、ほんとにそうだった。
このことが頭にあったので、ボクはヘンリーおじさん仕込みの turn でなんとかこの難局をのりきったわけだ。
実は、わが英語の師でもある、ヘンリーおじさんとの極秘(笑)共同企画が、現在進行中なのだ。
これも何かの縁だから、ここでこっそり発表しておこう。
詳細は順次お知らせするので、乞うご期待!
きょうはG中学の3年生が就業体験学習でやってきて、一緒に活動をすることになった。
ボクと一緒に現場に立ったのはS君。
学校では第二外国語にスペイン語を勉強しているというので、スペイン語圏のお客様の案内はまかせることにした。
そこに都合のいい(?)ことに欧米系の男性がやってきた。
しかし英語圏の人らしかったが、せっかくだからS君に応対をまかせてみた。
我々は、その時は1回の通路にいたのだが、どうやらそのお客様は2階に行きたいようで、S君もがんばって英語で受け答えをしている。
この場所からは、2階への階段は見えないので言葉で説明するしかない。
順調に説明していたのに、最後に何度も聞き返されて困っている様子だ。
どうも、左に曲がってという、 turn left が通じていないようで、横から turn left とボクが手助けして、そのお客様もわかったようで、2階を目指して去って行った。
日本式に「ターン」と言っても絶対通じないよと、以前からヘンリーおじさんに言われていたが、ほんとにそうだった。
このことが頭にあったので、ボクはヘンリーおじさん仕込みの turn でなんとかこの難局をのりきったわけだ。
実は、わが英語の師でもある、ヘンリーおじさんとの極秘(笑)共同企画が、現在進行中なのだ。
これも何かの縁だから、ここでこっそり発表しておこう。
詳細は順次お知らせするので、乞うご期待!
2010年8月2日月曜日
『マンガ全席』で暑中お見舞い申し上げます
2010年8月1日日曜日
さよならodada.jp、こんにちはodamanga.com
かねてからお知らせしていましたが、ドメイン移行作業が完了しました。
昨日でodada.jp関連のメールやサイトは業務を終了して、本日より、odamanga.comに統一いたします。
今後のメールやサイトは odamanga.com で運営していきますので、よろしくお願いいたします。
昨日でodada.jp関連のメールやサイトは業務を終了して、本日より、odamanga.comに統一いたします。
今後のメールやサイトは odamanga.com で運営していきますので、よろしくお願いいたします。
2010年7月24日土曜日
博ボラ日誌その13 博物館ボランティア解雇寸前
報酬のない博物館ボランティアなのに、実はノルマがある。
それは、月に二日間の終日勤務。
月に二日間ならたいしたことないだろうと気楽に考えていたら、これが意外と負担だった。
終日身柄を拘束されるような形態の仕事をしたことのない身には、なかなかキツい。
それでもなんとか4月以来、このノルマをこなしてきたが、ついに今月は1日も行く事ができない状況になってしまい、その分を来月にまわすことになった。
つまり来月は四日間も終日勤務をすることになる。
最初の半年間で計12回のノルマを達成できない場合は、ボランティア契約解除になるそうなので、ここが踏ん張りどころではある。
交通費も食事も自腹で、ノルマに苦しむボランティア生活は果たして続いていくのか。
それは、月に二日間の終日勤務。
月に二日間ならたいしたことないだろうと気楽に考えていたら、これが意外と負担だった。
終日身柄を拘束されるような形態の仕事をしたことのない身には、なかなかキツい。
それでもなんとか4月以来、このノルマをこなしてきたが、ついに今月は1日も行く事ができない状況になってしまい、その分を来月にまわすことになった。
つまり来月は四日間も終日勤務をすることになる。
最初の半年間で計12回のノルマを達成できない場合は、ボランティア契約解除になるそうなので、ここが踏ん張りどころではある。
交通費も食事も自腹で、ノルマに苦しむボランティア生活は果たして続いていくのか。
2010年7月4日日曜日
あすなひろし初の原画展
40年ぶりに復刊したマンガ同人誌『新つれづれ草』の取材をかねて、ヤスダアートリンクで開催中のあすなひろし原画展に行ってみた。
印刷ではほとんどつぶれてしまう細い線を、ナマで見るだけでも価値がある原画である。
これはもう、単なる印刷用の原稿といったものではない。
あの細さは丸ペンの線だと思っていたが、展示されている遺品のペン先を見るとカブラペンだった。
本日は、みなもと太郎氏とあすなひろし氏のお姉様のトークイベントがあるということで、100人以上の人が集まり大盛況。
会場には、チラホラ知った顔もある。
杉浦茂愛読家の嶌津よたろう氏の姿も見かけ、ちょっと立ち話をする。
ほんと、マンガとその周辺には、面白い事が多い。
というわけで、この日のレポートの詳細は、8月15日にコミケで発売の『新つれづれ草4号』で見てちょ!
2010年6月24日木曜日
博ボラ日誌その12 アイシテルとカタカナで
博物館には外国人も多く来る。
私は主として中国語と朝鮮語担当(習熟度を問わずの自己申告で、その言語のバッジが支給されて、首からぶらさげている)なのだが、たまには欧米系の外国人の相手もする。
きょうは、フランス人の青年が、恋人に出す絵ハガキに日本語でメッセージを入れたいので、見本の文字を書いてくれといってきた。
「愛してる」と書いて見せたら、「愛」の文字がうまく認識できないようで、もっと違うのはないかと言っている(ような気がした、なにぶん英語なもんで)。
で、カタカナで「アイシテル」と書いた縦書きのメモを見せたら、見よう見まねで文字を書き始め、なんとかそれらしく書き上げたようで、メデタシ、メデタシ。
でも、この絵ハガキをもらうはずの彼女もフランス人なので、カタカナは読めないんだけどね。
私は主として中国語と朝鮮語担当(習熟度を問わずの自己申告で、その言語のバッジが支給されて、首からぶらさげている)なのだが、たまには欧米系の外国人の相手もする。
きょうは、フランス人の青年が、恋人に出す絵ハガキに日本語でメッセージを入れたいので、見本の文字を書いてくれといってきた。
「愛してる」と書いて見せたら、「愛」の文字がうまく認識できないようで、もっと違うのはないかと言っている(ような気がした、なにぶん英語なもんで)。
で、カタカナで「アイシテル」と書いた縦書きのメモを見せたら、見よう見まねで文字を書き始め、なんとかそれらしく書き上げたようで、メデタシ、メデタシ。
でも、この絵ハガキをもらうはずの彼女もフランス人なので、カタカナは読めないんだけどね。
2010年6月12日土曜日
ありがとう
2010年6月10日木曜日
博ボラ日誌その11 気分はコンバット
博物館内での連絡用に、トランシーバーを持たされている。
いままで使ったことはなかったが、今日初めて使う機会があった。
思わず、
「チェックメイトキングツー、チェックメイトキングツー、こちらホワイトロック」
などと口走りそうになったが、グッとこらえて冷静に対応したボランティアなのだった。
いままで使ったことはなかったが、今日初めて使う機会があった。
思わず、
「チェックメイトキングツー、チェックメイトキングツー、こちらホワイトロック」
などと口走りそうになったが、グッとこらえて冷静に対応したボランティアなのだった。
2010年6月8日火曜日
私の仕事はサムライです
2010年6月6日日曜日
新ドメイン odamanga.com の日々
今でも6月6日は参観日なのだろうか。
そんなこととは関係なく、ドメインとサーバ引っ越しの後始末をしている。
まだ古いドメインも生きてはいるが、ほとんど新ドメイン&新サーバで作業している。
パーミッションの設定を間違えたのか、サイトが見えなくなったり、逆にディレクトリの中が丸見えになったり、まだまだあたふたしている今日この頃。
しかし一番変わったのは、運営費用が軽減されたこと。
今までの約四分の一で、今までと同じような環境でドメインを運営できるのだから嬉しい。
さくらインターネットというところを利用しています。
いまんとこオススメです。
そんなこととは関係なく、ドメインとサーバ引っ越しの後始末をしている。
まだ古いドメインも生きてはいるが、ほとんど新ドメイン&新サーバで作業している。
パーミッションの設定を間違えたのか、サイトが見えなくなったり、逆にディレクトリの中が丸見えになったり、まだまだあたふたしている今日この頃。
しかし一番変わったのは、運営費用が軽減されたこと。
今までの約四分の一で、今までと同じような環境でドメインを運営できるのだから嬉しい。
さくらインターネットというところを利用しています。
いまんとこオススメです。
2010年5月29日土曜日
オダマンガ・ドット・コム誕生!
iPadの日本発売を言祝いで、新ドメインの新サイトが誕生しました。
その名も【オダマンガ・ドット・コム】
以前の【おだだだJAPAN】と、どこが違うかというと、FLASHコンテンツが減ったことです。
だって、残念ながら iPhoneやiPadからはFlashで作成したコンテンツは表示されませんからね。
今回のドメイン変更に伴い、これまでのドメイン odada.jp のメールアドレスは受信できなくなります。
関係各方面には、近日中に新しいメールアドレスをお知らせいたしますので、よろしくお願いします。
それまでに連絡事項がある場合は、【オダマンガ・ドット・コム】のcontactから送信をお願いします。
というわけで、これからの【オダマンガ・ドット・コム】に、乞うご期待!
2010年5月27日木曜日
博ボラ日誌その10
博物館ボランティアの昼食問題について。
博物館のまわりには飲食店がない。
館内にはレストランがあるが、ホテル○○の、なんとかレストランで、ランチは2000円くらいする。無給のボランティアには手が出ない。
で、近くのG大の学食に行く。
美術と音楽の学食があるが、本日は音楽のほう。
ここは食券を買う方式ではなく、係のオジさんに料金を払って食券を受け取る方式。
食券を渡すときにオジさんは言う。
「はい、センセイ、盛り合わせランチ!」
そう、ここでは、学生に見えない人は、みんなセンセイになるのだった。
それにしても、よくわからないのが、ここの価格設定。
たとえば、盛り合わせランチは510円なのだが、510円を出すと、食券と一緒に10円を返してくれる。
これは一体どういうシステムになっているのだろうか。
最初から500円しか出さないで、様子をみたいものだが、
「510円って料金表に書いてあるでしょ、センセイ字が読めないの?」
と、オジさんから言われそうで、とても実行できない。
もしかして、返された10円をオジさんにチップとして手渡すのが暗黙の了解になってたりして。
ああ、真実は如何に。
博物館のまわりには飲食店がない。
館内にはレストランがあるが、ホテル○○の、なんとかレストランで、ランチは2000円くらいする。無給のボランティアには手が出ない。
で、近くのG大の学食に行く。
美術と音楽の学食があるが、本日は音楽のほう。
ここは食券を買う方式ではなく、係のオジさんに料金を払って食券を受け取る方式。
食券を渡すときにオジさんは言う。
「はい、センセイ、盛り合わせランチ!」
そう、ここでは、学生に見えない人は、みんなセンセイになるのだった。
それにしても、よくわからないのが、ここの価格設定。
たとえば、盛り合わせランチは510円なのだが、510円を出すと、食券と一緒に10円を返してくれる。
これは一体どういうシステムになっているのだろうか。
最初から500円しか出さないで、様子をみたいものだが、
「510円って料金表に書いてあるでしょ、センセイ字が読めないの?」
と、オジさんから言われそうで、とても実行できない。
もしかして、返された10円をオジさんにチップとして手渡すのが暗黙の了解になってたりして。
ああ、真実は如何に。
2010年5月20日木曜日
学士会館VS.巣鴨駅
2010年5月17日月曜日
はい元気です
2010年5月10日月曜日
元気ですか?
2010年5月6日木曜日
博ボラ日誌その9
これまでは、先輩の博物館ボランティアとペアで活動していたが、ついに今月からは一本立ち。
なんか難しい質問をされたら困るから、難しい質問をしそうな人が近づいてきたら目を合わせないようにすることにした。
万一に備えて、博物館の案内説明pdfをiPhoneに入れてはいるが、動作がいまいちなので、どうも実戦には役立ちそうにない。
相手もiPhoneユーザなら、またちがった意味で話が盛り上がるかも知れないが。
そんなわけで、中国語OKバッヂをつけて現場に立った。
とはいってもほとんどは日本人の来客だから大丈夫だろうと、気軽に近づいて来た青年に声をかけたら、こっちを見てキョトンとしている。
こりゃもしかして中国人かと思い、慌てて脳内を中国語に切り替えて確認したら、やはりそうだった。
最近は中国語を使う機会がないので私の中国語はひどいのだが、あなたは私の中国語を聞いてちゃんとわかりますか?などという言い訳を言いつつ時間を稼ぎ、なんとか会話をすすめて、ワークショップを楽しんでもらった。
そのあとやってきた女性はどうみても日本人顔。
自信をもって日本語で話しかけるが反応が悪い。おお、中国人2連発かとはりきるが中国語は通じない。よっしゃ、韓国人だなと朝鮮語に切り替えるがこれもダメ。
突如彼女が口を開いた。English...。
意外な展開にとまどいつつも英語に切り替えるが、もはやしどろもどろ。英語OKボランティアにタッチ。
その後、英語OKボランティアと話したのだが、来客用のロッカーの説明英文が間違っているそうだ。
ボクが付けている中国語OKバッヂの文章も文法的には間違っている。最初に会った中国人青年にこのバッヂを見せて、文法はどうかときいてみたが、だいたい合ってるような返答ではあった。しかしこの青年は台湾から来た人なので、バッヂの簡体字がちゃんとわかったのかどうかは定かではない。
そうしていると、なんとなくキョロキョロしている欧米系外国人がいたので、英語版リーフレットを手渡そうとしたらフランス人だった。なかなかうまくいかないもんである。
と、こう書くと外国語案内が主要業務のようだが、その実態は、トイレの場所やら、館内で迷ってしまい出口をたずねる人への対応がほとんどなのでした。
なんか難しい質問をされたら困るから、難しい質問をしそうな人が近づいてきたら目を合わせないようにすることにした。
万一に備えて、博物館の案内説明pdfをiPhoneに入れてはいるが、動作がいまいちなので、どうも実戦には役立ちそうにない。
相手もiPhoneユーザなら、またちがった意味で話が盛り上がるかも知れないが。
そんなわけで、中国語OKバッヂをつけて現場に立った。
とはいってもほとんどは日本人の来客だから大丈夫だろうと、気軽に近づいて来た青年に声をかけたら、こっちを見てキョトンとしている。
こりゃもしかして中国人かと思い、慌てて脳内を中国語に切り替えて確認したら、やはりそうだった。
最近は中国語を使う機会がないので私の中国語はひどいのだが、あなたは私の中国語を聞いてちゃんとわかりますか?などという言い訳を言いつつ時間を稼ぎ、なんとか会話をすすめて、ワークショップを楽しんでもらった。
そのあとやってきた女性はどうみても日本人顔。
自信をもって日本語で話しかけるが反応が悪い。おお、中国人2連発かとはりきるが中国語は通じない。よっしゃ、韓国人だなと朝鮮語に切り替えるがこれもダメ。
突如彼女が口を開いた。English...。
意外な展開にとまどいつつも英語に切り替えるが、もはやしどろもどろ。英語OKボランティアにタッチ。
その後、英語OKボランティアと話したのだが、来客用のロッカーの説明英文が間違っているそうだ。
ボクが付けている中国語OKバッヂの文章も文法的には間違っている。最初に会った中国人青年にこのバッヂを見せて、文法はどうかときいてみたが、だいたい合ってるような返答ではあった。しかしこの青年は台湾から来た人なので、バッヂの簡体字がちゃんとわかったのかどうかは定かではない。
そうしていると、なんとなくキョロキョロしている欧米系外国人がいたので、英語版リーフレットを手渡そうとしたらフランス人だった。なかなかうまくいかないもんである。
と、こう書くと外国語案内が主要業務のようだが、その実態は、トイレの場所やら、館内で迷ってしまい出口をたずねる人への対応がほとんどなのでした。
2010年5月4日火曜日
私の年は50歳です
2010年5月3日月曜日
昔はハガキ、今はTwitter
その昔、ニッポン放送「オールナイトニッポン」で、日本のDJの草分けのひとり糸居五郎さんにハガキを読まれた。
そして40年。
きのう、インターエフエム「LAZY SUNDAY」で ジョージ・カックルさんにメッセージを読まれた。
今回は、ハガキではなくTwitter。
時代の流れを感じるね。
そして40年。
きのう、インターエフエム「LAZY SUNDAY」で ジョージ・カックルさんにメッセージを読まれた。
今回は、ハガキではなくTwitter。
時代の流れを感じるね。
2010年5月2日日曜日
私は日本から来ました
2010年5月1日土曜日
7年目の変身
1996年にホームページ公開をはじめた。
その時は、プロバイダのサービスを利用したのだが、アップロードするにもテルネットでなんてこともあり、何がなんだかわからなかった。
そんなこんなで、なんとか自分のMacで確認できたときは、そりゃうれしかったもんだ。
その時のサイト名は「まるたつPOWER」。
当時発売されたMacのCPUはPower PC が最新で、まだ68kだったボクは憧憬を込めてこんな名称にしたんだった。
その後、スマートスケッチから進化したFlashに夢中になり、いろんなFlashコンテンツを作ってアップロードして喜んでいた。
これを機にFlashのFをとって、サイト名も「まるたつ(F)POWER」と改題した。
そして7年。
2003年、独自ドメインを取得した。
記念にサイト名を「おだだだJAPAN」にして言祝いでみた。
そのうち、だんだんブログやTwitterのほうが更新頻度があがり、なんとなくサイト更新も滞りがちになってしまった。
さらに7年。
2010年、ドメイン移管を考え始めた。
最初はサーバーとドメイン管理を移すだけのつもりだったが、いっそのこと新しいドメインで再起動しようかとも考えはじめた。
で、このGWを利用して、サイトのファイルを検証してみることにした。
ところが、意味不明なファイルやら、リンク不明やら、大混乱状態になっている。
さて、今後の展開はどうなることやら...。
その時は、プロバイダのサービスを利用したのだが、アップロードするにもテルネットでなんてこともあり、何がなんだかわからなかった。
そんなこんなで、なんとか自分のMacで確認できたときは、そりゃうれしかったもんだ。
その時のサイト名は「まるたつPOWER」。
当時発売されたMacのCPUはPower PC が最新で、まだ68kだったボクは憧憬を込めてこんな名称にしたんだった。
その後、スマートスケッチから進化したFlashに夢中になり、いろんなFlashコンテンツを作ってアップロードして喜んでいた。
これを機にFlashのFをとって、サイト名も「まるたつ(F)POWER」と改題した。
そして7年。
2003年、独自ドメインを取得した。
記念にサイト名を「おだだだJAPAN」にして言祝いでみた。
そのうち、だんだんブログやTwitterのほうが更新頻度があがり、なんとなくサイト更新も滞りがちになってしまった。
さらに7年。
2010年、ドメイン移管を考え始めた。
最初はサーバーとドメイン管理を移すだけのつもりだったが、いっそのこと新しいドメインで再起動しようかとも考えはじめた。
で、このGWを利用して、サイトのファイルを検証してみることにした。
ところが、意味不明なファイルやら、リンク不明やら、大混乱状態になっている。
さて、今後の展開はどうなることやら...。
2010年4月28日水曜日
Saya orang Jepang.
2010年4月27日火曜日
久々の簡体字入力
MacOSXは、システム環境設定/言語環境/入力メニューで、多様な言語の入力が選択できる。
とはいっても日英以外では、ハングルと中文簡体字しか設定してないけど。
久しぶりに簡体字で入力しようと思って、メニューを中国語のローマ字入力(ITABC)に切り替えて変換しようとしたら、これが全然できない。
ピンイン(アルファベットの発音記号みたいなもの)の綴りがまちがってるのかと辞書で確認しても問題はない。
そのうちはたと気づいた。
変換は、enterキーではなくて、spaceキーなのだということに。
ちなみに、現在開催中の北京モーターショーは簡体字だと「北京国际汽车展览会」です。
なんだか、たいへんな賑わいのようです。
とはいっても日英以外では、ハングルと中文簡体字しか設定してないけど。
久しぶりに簡体字で入力しようと思って、メニューを中国語のローマ字入力(ITABC)に切り替えて変換しようとしたら、これが全然できない。
ピンイン(アルファベットの発音記号みたいなもの)の綴りがまちがってるのかと辞書で確認しても問題はない。
そのうちはたと気づいた。
変換は、enterキーではなくて、spaceキーなのだということに。
ちなみに、現在開催中の北京モーターショーは簡体字だと「北京国际汽车展览会」です。
なんだか、たいへんな賑わいのようです。
2010年4月25日日曜日
博ボラ日誌その8
ついに博物館ボランティア研修も、きょうが最終日。
無事に研修終了予定の時刻になり、あとは登録証と顔写真つきの正式入館証を受け取るだけなので、みんな帰り支度を始めた頃、それは始まった。
予定にはなかったのに、なんと館長がやってきて、ボランティア候補生を一人ずつ壇上に上げて名前を読み上げ登録証を手渡しするというのだ。
約60人のボランティアが対象だから、一人30秒としても30分はかかる。
もうすっかりお帰りモードになっていたボランティア候補生は、お互い顔を見合わせる。
おいおい、卒業式じゃないんだぞ、なんて声もきこえてくる。
登録証授与がアイウエオ順らしいのに気付き、自分の番が近くなったらまだ名前を呼ばれもしないのに席を立ち、壇上への階段付近に移動する気の短い人もいる。すみません、ボクです。
この登録証というのがA4のコピー用紙のようなものにプリントされていて、手に持ったらヘニャッとお辞儀してしまい、その迫力のなさになんだか笑える。
結局、推定通り30分の時間延長で登録証授与式(?)は終わり、やっと解散となった。
みなさん小走りで会場をあとにするのだった。
この突然の授与式、うやうやしく館長に深々とお辞儀をして、登録証を「はは〜っ」といただく儀式みたいなものをしたかったのか、真意はよくわからないが、研修で疲れたボランティア候補生の疲れが一段と増したのは、間違いない。
博物館は、元々官立でスタートしたもので、今でこそ独立行政法人になっているが、こんなところにも、まだまだお役所体質が抜けていない気がする。
まぁ、そんな「上から目線充満」の博物館を、もっと身近に感じて気軽に楽しめるようにするための潤滑油になるのが、博物館ボランティアの役目なのかもしれない。
というわけで、来月から博物館ボランティア生活が本格的にスタートする。
それにしても iPhone は、館内だとかなりの場所で圏外になる。
孫さんに、なんとかしてほしいのココロだ〜っ!
2010年4月20日火曜日
Selamat siang
2010年4月17日土曜日
博ボラ日誌その7
博物館ボランティア研修も、今日で第三回。
今回は、企画やら保存のセクション担当者の、プレゼンテーションを次々と見せられる。
どの人のも、なんだかよくわからないWinマシンで、面白みのないパワーポイントのスライドショー。
最後に登場したデザイン室担当者は、Mac Book Pro を小脇に抱えて登場。
プロジェクタには、おお、これまでとはうってかわって、洗練されたMacのデスクトップが現れた。
使用アプリは当然 Keynote と思いきや、なぜかこちらもパワーポイント。
スライドショーの出来は、さすがにデザイン室の制作らしく、見せ方もうまい。
でも、パワーポイントのMac版なんてあったの?
今回は、企画やら保存のセクション担当者の、プレゼンテーションを次々と見せられる。
どの人のも、なんだかよくわからないWinマシンで、面白みのないパワーポイントのスライドショー。
最後に登場したデザイン室担当者は、Mac Book Pro を小脇に抱えて登場。
プロジェクタには、おお、これまでとはうってかわって、洗練されたMacのデスクトップが現れた。
使用アプリは当然 Keynote と思いきや、なぜかこちらもパワーポイント。
スライドショーの出来は、さすがにデザイン室の制作らしく、見せ方もうまい。
でも、パワーポイントのMac版なんてあったの?
2010年4月12日月曜日
Selamat pagi
2010年4月9日金曜日
博ボラ日誌その6
博物館ボランティアの第3回目の研修の前に資料が送られてきた。
今回のテーマは、「保存と修理」なのだそうだ。
資料に目を通して、疑問点を三つ以上書き出し当日持参し、研修の材料に使うらしい。
う〜ん、この調子だと、研修最終日にはテストでもありそうな気配(笑)。
今回のテーマは、「保存と修理」なのだそうだ。
資料に目を通して、疑問点を三つ以上書き出し当日持参し、研修の材料に使うらしい。
う〜ん、この調子だと、研修最終日にはテストでもありそうな気配(笑)。
2010年4月5日月曜日
Nama saya oDandy
2010年4月1日木曜日
博ボラ日誌その5 生半可な語学力でオウム変身
まだ研修は、全行程の半分しか受講していないのに、今日からいきなり博物館ボランティア実践編。
いちおうアジア系言語ができると(習熟度問わずの条件付き)いう自己申告で合格したので、着物型ポストカードを作るコーナーで韓国人らしき人に声をかけたら、案の定韓国人だった。
しばらくして、できあがったポストカードを手にしたその韓国人が、こちらになにか言っている。
どうやら「・・・行ってもいいのか?」と言ってるようだ。
どこに行きたいのか、どうしてもわからないので、困った時の復唱作戦に突入。ひたすら相手の言うことをこちらも繰り返すのみ。完全にオウムと化した私。
業を煮やした彼女が、ちょっと言い方を変えた。
どうやら今度は、「これは贈り物なのか?」と言っているような気がするので、「そうだ私からの贈り物だ」とキッパリ言い切ったら(ちょっとちがう気もするが)、安心したようにポストカードを手に去って行った。
1時間後、館外でコーヒーを飲みながら休憩していたら、頭の中でジグソーパズルがカチッとはまった。
どこかに行きたいのではなく、「これを持って行ってもいいのか?」と言っていたのだ。
ああ、すっきりした。
ふと前方を見ると、問題の韓国人がこちらにやってくるのが目にはいった。
あわてて伏し目がちにコーヒーの残りを飲み始める、桜の樹の下で。
2010年3月29日月曜日
パンツをはいたウクレレ
2010年3月23日火曜日
タイホーVSリンボー
いや、べつに格闘技のオハナシではない。
浅草寺主催の講演会のオハナシ。
今回の講師は、あの大横綱大鵬さんと、リンボー先生こと林望さん。
大鵬さんの演題は「裸で学んだ人生観」。
まさにおすもうさんならではのテーマで、看板にいつわりなし。
リンボー先生のほうは、「源氏物語を読む楽しみ〜『謹訳源氏物語』の刊行に寄せて〜」
ちゃんとレジュメが用意してあり、その文面を見つつ、著者自らの朗読を聴くという趣向。
前の席に座ったおばさんが落ち着きのないタイプで、しょっちゅうキョロキョロして私語は多いしで、面白いので観察していたら、なにやら隣に座った人に話しかけてる。
おりしも壇上では、リンボー先生の朗読の名調子が響き渡っている。
「この人の名前は、ハヤシ・・・モチ?」
さすがに、オバさんの隣の人も唖然として、講師紹介の箇所を指し示している。
いくらなんでも、ハヤシモチはないでしょう。
たぶん、知り合いにモチヅキさんがいて、それにひっぱられたんだろうが、ハヤシモチはすごい。
どこかの名産のお餅じゃないんだから。
2010年3月22日月曜日
博ボラ日誌その4 おかしな中文
博物館ボランティア研修用の資料を読んでいたら、外国語の出来る人(習熟度は問わないそう)は、それを示すバッジをつけるらしい。
資料には朝鮮語のものはないが、中国語のバッジの図はある。
それは、上のイラストのようなものなのだが、その文字列を見たとき何か違和感を感じた。
たぶん、「私は中国語が話せます」と表現したいのだろうが、この表現は間違っているような気がする。
日本語の「できる」という意味を表す中国語には数種類あって、ここで使われている「可以」は外国語ができるという場合ではなく、この場所で煙草を吸う事ができるかどうか、というような許可不許可の場合に使われるんじゃないかな〜、と思う。
数十年前に使っていた分厚い辞書で調べてみたが、やはりこのバッジの表現は正しくないようだ。
しかし、言葉は変わる。
現代中国語では、このようにも表現するのかも知れない。
グダグダ考えていても解決しないので、恩師の教授にご教授願ったら、やはりこのバッジの文面には問題があるとのことだった。
もし、「私は中国語は話せます」ということなら「我会講中文」が正解とのこと。
ボクが試験に臨んでも、そういう答案を書くと思う。
「講解」を使っての文法的に正しい文は、「我会用中文講解」になる。
では、次回の研修日にこのバッジの文面について意見を述べればいいんじゃないの、ということになるが、事はそう簡単ではない。
もしそんなことをしたら、じゃあアンタが正しいものに修正しなさいよ、なんてことになり、そんなに偉そうにいうなら今後中国語関連で何か問題があったら全部責任もってやりなさいよ、なんてことになりそうな気がしないでもないからだ。
考え過ぎかも知れないけど。
それにボクの場合、外国語の習熟度に問題があるのがモンダイなのだ。
でも、現状のバッジをつけて活動はしたくないなぁ。
果たしてネイティブの中国人に、このバッジの文意は伝わるのだろうか?
2010年3月18日木曜日
BROMPTONで疑似オランダまで
2010年3月14日日曜日
博ボラ日誌その3 博物館内で道に迷う
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